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石川 武志写真展 「MUMBAI HIJRAS(ムンバイ・ ヒジュラ)」

近年、ジェンダーとかセクシャリティーとかLGBTとか性の多様性が語られる機会が増え、社会のテーマになってきた感がある。そして世界には社会や文化が違えばジェンダーの性区分も_社会的役割も違う文化がる。ここで私が取り上げるのはインドやパキスタン、バングラデシュなどインド文化圏に広く存在する「ヒジュラ」というサードジェンダーである。

 「ヒジュラ」(Hijras)という用語はウルドゥー語やヒンドゥー語で、半陰陽者や両性具有者など、男性と女性の中間で両方の性を持ち合わせたような性区分の人たちの社会や個人を指す。実態的には男性で生まれ、女性に性別移行の願望がありながら女性であるとは主張せず、女性でもなく男性でもない自分は「ヒジュラ」だという。すなわち「ヒジュラ」とはインド社会特有のサード・ジェンダーである。

 インドのヒジュラの人口は正確な統計がないが10万人から20万人くらいが存在すると思われる。ヒジュラの特徴の一つとして集団で暮らし、集団はグルと呼ばれる母親役とチェーラーと呼ばれる姉妹で「ファミリー」と呼ばれる擬似家族を形成し、仕事上の縄張り(テリトリー)を持っている。都市部では多くのファミリーが集まり族長という意味の「ナイク」がいてインド中のヒジュラを組織化してヒジュラ社会を形成している。

 ヒジュラの生業で有名なのは「バッチャー・バダーイ」(赤子の誕生の祝福儀礼)と「サーディカ・バダーイ」(婚礼の祝福儀礼)である。これらヒジュラの祝福儀礼は、豊穣の神バフチャラー神の力を人間に与えるシャーマンとしての役割がる。またイスラムのヒジュラはイスラムの王の宮廷で元々トランス・ジェンダーの芸能者として庇護されていたこともあり、催しやお祝い事で歌や踊りを披露したりするなど、ヒジュラの伝統的役割は何千年という歴史を刻んできた。

 ムンバイの歴史は長く、1534年にこの土地を譲り受けたポルトガルがゴアの補助港として城塞を築き、キリスト教の教会を建てこの地を「ボンベイ」と名づけましたことからスタートしする。 その後、1661年ポルトガルの王女がイギリスのチャールズ2世と結婚する際、ボンベイは結婚の持参金としてイギリスに委譲されることになった。

【インド】最高裁、同性同士の性行為を禁止する刑法377条は違憲と判決。LGBTの平等や尊厳の観点 2018/09/06

植民地時代から存続する刑法第377条で同性間の性行為は「不自然な違法行為」とされており、2013年にはこれを支持する判決が出ていた。
157年前の植民地時代に制定された刑法第377条では、一部の性行為を「不自然な違法行為」と規定し、違反者には10年間の禁錮刑が科せられていた。
同法では「あらゆる男性、女性、動物との自然に反する性行為」を禁じている。すべての肛門性交とオーラルセックスを犯罪だとしており、これが同性間の関係に大きく影響していた

ムンバイ(Mumbai)はインド最大の商業都市でありもっとも西洋化した都市といわれている。ムンバイの歴史は長く、1534年にこの土地を譲り受けたポルトガルがゴアの補助港として城塞を築き、キリスト教の教会を建てこの地を「ボンベイ」と名づけましたことからスタートします。 その後、1661年ポルトガルの王女がイギリスのチャールズ2世と結婚する際、ボンベイは結婚の持参金としてイギリスに委譲される。1990年代まではボンベイと呼ばれていて人口は850万人ほどだったが、2023年の現在は1,400万人を越えているインド最大の大都会だ。
 そしてムンバイはインドの中でも植民地時代の影響を最も強く受けた都市であり、植民地時代に制定された刑法第377条項では2018年の撤廃まで「あらゆる男性、女性、動物との自然に反する性行為」を禁じている。そのためヒジュラの存在自体を否定され、いつも警察から攻撃を受け、不道徳な人間として差別の対象になっていた。
そのためポルトガルやイギリスの植民地時代の影響を強く受けた地域では、伝統的なヒジュラの祝福儀礼を行う機会も少ない。なおかつ子供を産めないヒジュラはインド社会では女性と認められず、女性に性別移行した(トランス・ジェンダー・ウーマン)としても認められていない。一般的に女性が仕事を見つけるだけでも困難なのに、女性でも男性でもないヒジュラはなおさら困難である。その為一部のヒジュラたちはセックス・ワーカーや通勤電車内でバクシシーと称する門付けを集めたりするなど蔑まれた存在だ。インド特有のサードジェンダーとしてのカテゴリーもトランス・ジェンダー・ウーマンとしてのとしての位置付けもなく、ムンバイのヒジュラはインドのかでも一番厳しい状況の中で生きているといえる。
 しかし、2010年頃から少しずつヒジュラ社会が変化し始めている。LGBTなどセクシャル・マイノリティーの人たちの人権を考える動きも始まり、2018年には長年の念願だった刑法第377条項の撤廃を最高裁で勝ち取った。近年、一部のヒジュラはパソコンを勉強したり、洋服の縫製技術を身に付けたり、いろいろな職業のスキルをつけようとしている。

 中米や南米のサードジェンダー文化が、西洋の植民地化の中で消滅していった中で、インド文化圏に現存する「ヒジュラ」というサードジェンダー文化は、世界の中でも注目を集める存在である。ここでヒジュラの社会の存在を知ることは、世界の多様なジェンダーのあり方を知る上での一考察になれれば幸いである。

                            石川 武志

■期間

2023年5月4日(木) ~ 5月15日(月)10:00 〜 18:00
※最終日 15:00 まで
※休館日5月9日(火)・10日(水)
※入場無料

■写真展案内


■イベント

石川 武志 写真展 作品解説 開催 
会場: OM SYSTEM GALLERY 内
※予約不要・参加無料
   
5月7日(日)14:00~15:00
スペシャルゲスト 性社会文化史研究者 三橋 順子 氏


お問い合わせ:ギャラリー事務局 
TEL:03-5909-0190(火・水定休)


■作家プロフィール

石川 武志 Takeshi Ishikawa

1950年、愛媛県生まれ。1971年、東京ビジュアル・アーツ卒業
1971年9月 から1974年10月、W、ユージン・スミスの ミナマタ・プロジェクトでアシスタントを務める
1975年 3月 W、ユージン・スミスの「MINAMATA」の写真展や出版に立ち会うため渡米、以後フィリーランス
1980年 インドでヒンドゥー教の修行者「サドゥー」とインドのトランス・ジェンダー社会「HIJRAS」の取材を開始
1982年 写真展「YOGI」ニコンサロン新宿。1988年 写真展「HIJRAS」ミノルタギャラリー
1995年 写真集「 "HIJIRA - THE THIRD GENDER IN INDIA"」を青弓社から出版 
2008年 再びミナマタの取材を開始する2011年 写真展「ガンガー巡礼」ニコンサロン銀座で開催。
2012年 写真展 「MINAMATA - NOTE 1971~2012」ニコンサロン銀座で開催
2012年 「MINAMATA - NOTE 1971~2012」を千倉書房より出版。
2014年 写真展「MINAMATA NOTE 1971~2012」をミナマタ・ミュージアムで開催
2020年 写真集NEKED CITY VARANASI」を蒼穹舎より出版
2021年 写真展「MINAMATA-ユージン・スミスへのオマージュ」を新宿リコーギャラリーで開催
2022年 4月27日から6月10日まで熊本市新聞博物館で「9人の写真家が見た水俣」を開催

■在廊予定

毎日在廊の予定

■会場

OM SYSTEM GALLERY(旧 オリンパスギャラリー東京)

●営業時間
10:00~18:00
火曜・水曜定休、GW・夏季・年末年始の長期休業

●所在地
〒160-0023
東京都新宿区西新宿 1-24-1 エステック情報ビル B1F
電話番号:03-5909-0190

●アクセス
新宿駅西口から徒歩5分
新宿西口地下ロータリー左側の地下道を都庁方面に進む。地下道上部に「エステック情報ビル」の表示あり。

都営地下鉄大江戸線都庁前駅から徒歩4分
B1出口から地下道を新宿駅方面に進む。地下道上部に「エステック情報ビル」の表示あり。

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