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文学から紐解く小豆島 〜郷土料理を掘り起こす〜

【わたしのまちとカメラ Vol.027 小豆島カメラ#012 】

「小豆島カメラがおすすめする、見たい、食べたい、会いたい小豆島」の第4回目。今回は小豆島カメラの坊野が小豆島出身の作家、壺井栄についてご紹介します。


小豆島生まれの作家、壺井栄

壺井栄の肖像

小豆島から生まれた文学者といえば壺井栄…と島で暮らしはじめてから、その名をよく聞くようになりました。恥ずかしながら、昔の言葉で読みづらそう…と勝手な思い込みでなかなか手をつけられていなかったのですが、ふとした時に代表作の小説『二十四の瞳』を読んでみたことがあります。恐る恐るページをめくってみると、古い言葉遣いは少なく、柔らかな筆致でなめらかに読み進めれました。小豆島に暮らしているからこそ、100年前の当時の島の様子や庶民の暮らしがありありと伝わってくるのです。今でも残っている場所や食べ物が記されているので、タイムスリップしたような不思議な感覚に。『随筆・小説 小豆島』からは目を背けることなく貧しい生活を書き残し、そんな日々の中にもある豊かさを見つめる温かい眼差しに壺井栄の魅力を感じるようになりました。

作品から浮かび上がる坂手の昔のまち並み

栄の文学碑近くから見下ろした坂手港。
神戸三宮港と結ぶジャンボフェリーが入港するところ

栄は1899年に小豆島の坂手地区で生まれました。島の高等学校を卒業後、郵便局や村役場などに勤めましたが、1925年に上京。その後、同じく小豆島出身の詩人、壺井繁治と結婚しました。上京後、壺井繁治やその仲間から文学的な影響を受け、小説や童話を数多く残していくことに。なかでも小説『二十四の瞳』は1954年に木下惠介監督によって映画化され一躍ヒットしました。
 
栄は『随筆・小説 小豆島』の「うみべの村」という随筆で坂手のまちを以下のように表現しています。
 
“坂手村はその名のように後ろの山から続く段々畑が渚の近くまで、両手を前にまるくひろげたような形の入江にながれこみ、南に海をうけている平地の少い村である。家々はその少い平地の海辺にせせこましく軒を並べている“
 
この一節は、私が今見る坂手のまちにも重なるような気もするし、よくよく読むと、今よりもっと段々畑が山の上まで続いていたのかなと、文章から当時の島の様子への想像が膨らんでいきます。

栄の生誕地。栄と同じ年齢のオリーブが植わり、栄が好きだった花であふれた場所に
栄の父は腕利きの樽職人だったと言います。(ヤマロク醤油で撮影))

本からうまれる一皿

小豆島には栄の作品にまつわる料理を再現した創作郷土料理店があります。オリーブ畑が広がる西村地区の海辺に佇む「創作郷土料理 曆」です。どんな風に栄の作品を読んでいるんだろうと店主の岸本等さんを訪ねました。

曆を営む岸本等さん・玲子さん夫妻

岸本さん夫妻が曆をはじめたのはあるイベントがきっかけでした。『随筆・小説 小豆島』などの壺井栄の作品から、料理にまつわる単語を抜き出し、その料理を再現しました。単語の抜き出し作業は小豆島町立図書館の読書会のメンバーにお願いして、13巻の全集から集め出しました。その数、なんと800件ほど。そこでその料理を再現し、ふるまうイベント「本からうまれる一冊」を月一回12ヶ月間にわたり企画。イベントが好評だったことにつき「創作郷土料理 曆」をオープンしました。

作品から抜き出した料理はページ数や作品名とともに表を作成するといった細やかさ
「本からうまれる一冊」で月1回発行していたヒトサラ通信。
イベントでふるまった料理を栄の作品とともに紹介しています

等さんに栄の作品の魅力について聞いてみました。

「僕は料理人なので、地の食材を使いたいという気持ちがあります。その点で壺井栄の作品にはヒントが詰まっています。栄が生まれたのは1899年でまだラジオがない頃。文化が統一されておらず、それぞれの地域で独自の文化が最盛したであろう時期。その時の唯一無二の郷土料理が栄の作品にはたくさん書き残されているんですよね。実際に当時の料理を再現してみると、サバイバル術として培われてきたことが伺える、郷土料理として昇華された状態であることを感じます。田舎くさいけど、少しアレンジしたら洗練されたものに変わるんですよ」
 
確かに栄の作品を読むと、たくさん食べ物の表現が出てきます。だいだいや夏みかん、めばる、あじなど今でも島でよく採れるものも出てきて、当時の人はそんな風に食べていたのかと親しみを感じたり。

昔の記憶が蘇る郷土料理

曆のお昼の定食。なすの芥子漬け、太刀魚の背ごし、芋ねり、いりこ素麺、かきまぜなど。

栄の人物像や見聞きした島の郷土料理の情報交換をあれこれ話した後、曆のお昼の定食「小豆島」をいただきました。季節に合わせて、栄の作品にまつわる島の郷土料理をアレンジした料理が楽しめます。一度、夫の祖母とともに曆で食事をしたことがあったのですが、私たちからしたら珍しい料理も「ああ、これ、食べてたわ」と当たり前のように祖母は言い、昔話があふれ出したことがありました。
 
「そうそう、おばあちゃんたちが急に喋り出すんですよね」と岸本さん。観光客にとってはタイムスリップしたような気分になり、おじいちゃん、おばあちゃんにとっては懐かしさを味わえる料理のようです。

苗羽風かきまぜの作り方

島の中でも地区ごとによって具材や味付けが微妙にちがうかきまぜ

お昼の定食の中から「かきまぜ」の作り方を教えてくれました。かきまぜとは、あらかじめ炊いた具材を炊き立てのごはんに混ぜ合わせる料理のこと。『岸うつ波』という作品で登場します。昔は、祭りや農作業の時に、女性陣が集まって作り、みんなで食べていました。今でも、祭りでふるまわれたり、家庭料理として作ったりする人もいます。

等さんが苗羽風のかきまぜを作るところを見せてくれました

等さんによると、同じかきまぜでも地区ごとによって特徴があるそう。例えば、池田地区は色が薄くて辛く、等さんが生まれた苗羽(のうま)地区は黒くて甘いのだとか。曆では苗羽風のかきまぜをアレンジして提供しています。

厨房が醤油の香りで包まれました

具材はとり肉やごぼう、にんじん、干ししいたけ、ちくわ、油揚げ、ずいきを荒みじんに切り、かつおと昆布だし、酒、砂糖で下炊きします。具材に火が通ったら、5種類もの醤油で味を整えていました。醤油はもちろん全て小豆島産。こいくちや再仕込み醤油をベースにうすくちをブレンドします。ドバドバと入れていたので「えっ?辛くないのかな?」と正直思ったのですが、白ごはんと混ぜ合わせると、ちょうどいい塩梅に。

まつり寿司とあじの姿寿司

まつり寿司とは木型を用いた押し寿司

今回は特別にまつり寿司とあじの姿寿司も用意してくれました。2つとも小説『母のない子と子のない母と』で登場します。
 
“大ざらがふたつ、でんと持ちだされました。小あじのすがたずしと、大阪ずしです。それがおばさんのおとくいなのを、一郎だけは知っていました。“
 
子どもを亡くしたおとらおばさんが、お母さんを亡くした一朗のお誕生日に作ったごちそうです。文中の「大阪ずし」が「まつり寿司」のこと。

手前があじの姿寿司。奥が切り分けたまつり寿司

等さんが子どもの頃にも、祭りの日に川べりにシートを広げ、まつり寿司やあじの姿寿司がふるまわれたことを思い出し、お母さんや近所の人に作り方を教えてもらったそう。
 
鯛のでんぶを挟んだ酢飯に、太刀魚の酢漬け、炊いたエビ、厚焼きたまご、はもの照り焼きを乗せて、重しを敷き4時間ほどで完成。ぎゅうぎゅうに詰めるので空気が入らず酸化を防げます。保存が効くので、祭りの日にうってつけだったわけです。
 
あじの姿寿司は等さんも食べたことはなく、近所のおじいちゃんに作り方を教えてもらいました。昔話や料理を再現するまでのエピソードを聞きながら、お寿司を頬張ると、じんわりとあたたかな気持ちに。
 
「栄の作品は、郷土料理や風習を閉じ込めるタイムカプセルのよう」と等さんは言います。確かに栄が残した作品のページをめくれば、歴史の流れで風化された島の文化が蘇ってくるようです。文章で、料理で、小豆島カメラなら写真で、心が動くものを次の100年に残していけたらいいな。

文・写真:坊野 美絵

今回の取材で使ったカメラ・レンズ
Camera:
OLYMPUS OM-D E-M1 Mark III
Lens:
M.ZUIKO DIGITAL 17mm F1.8
M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8

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