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ローカルフォトのはじまり

【わたしのまちとカメラ Vol.001】

はじめまして、写真家のMOTOKOと申します。プロとして仕事を始めたのが1996年、今年で26年になりますが、今回はわたしの写真についてではなく、近年取り組んでいる「ローカルフォト」というプロジェクトについてお話しをさせていただこうと思います。読者の中にはすでにご存じの方もいるかもしれませんね。

写真でまちを元気に!

ローカルフォトとは、「写真でまちを元気に!」をスローガンに、地域の人々がその土地の暮らしや文化を写真に撮ってSNS等で発信し、観光や移住につなげる住民主導の活動です。

2013年10月に始動した「小豆島カメラ」
全国に広がるローカルフォト

ローカルフォトは2013年の10月、香川県の7人の女性たちによる、小豆島カメラから始まりました。その後、滋賀県長浜市、長崎県東彼町、静岡県下田市、神奈川県真鶴町、愛知県岡崎市など、全国各地でプロジェクトを実施してきました。地域によってプログラムの内容は変わりますが、いずれも写真でまちを元気にすることが目的です。OMデジタルソリューションズさんには2013年の小豆島カメラから参画いただき、もうすぐ10年になろうとしています。

今年は青森県藤崎町で「藤崎ローカルフォトアカデミア」が始まります。
http://www.town.fujisaki.lg.jp/news/index.cfm/detail.1.16804.html

社会を見る

ローカルフォトプロジェクトを始めてはや10年。 地域に通い始めてから15年。今回OM SYSTEM noteの執筆依頼を受けて、改めて「ローカルフォトってなんだろう?」と考えてみました。一言でいうと「社会を見る」。カメラを通じて社会を見る。一人ではなくみんなで。多様な視点が求められる現代、全ての地域でコレクティブ(集団)の活動をしています。そして、活動を通じてわかったことは、まだまだ都市(東京)から見た日本しか知られていない、ということでした。

 でも、社会を見るって、一体どういうことでしょう? それはまちを見ること。まちを歩いて、個人商店や産業に携わる人々と話してみる。 多分ほとんどの人が、インターネット・テレビ・新聞といった、メディアからの情報を通じて“なんとなく” 社会を捉えてきたと思います。 しかし近年は、人口減少や少子高齢化、経済低成長、気候変動など、以前は遠かった課題が身近になったことで、全国でまちづくりが実施され、生活者自ら「社会を見る」もしくは 「関わる」ことが求められるようになりました。さらに、新型コロナウイルスの感染が拡大して課題が常態化した現在は、社会を見ることは、必要不可欠になったと思います。

みなさんも、まち(社会)を見ませんか? 別に遠くに出かけなくとも、お住まいの地域で十分です。カメラを持ってまちを歩き、人と会話することで、これまで知らなかった世界が見えてきます。携帯するカメラは、スマートフォンでもなんでもかまいませんが、個人的にはミラーレス一眼カメラなどでファインダーを覗いて撮るほうが、たくさんの世界を発見できるような気がします。

なぜ地方へ向かうことになったのか

さて、東京で音楽や雑誌、広告等の仕事をしていたわたしが、なぜ地方へ向かうことになったのでしょうか?
 一つはデジタル化にともなう産業構造の変化です。2000年〜は、大量生産の製造業から情報産業に変わる移行期でした。そもそもプロカメラマンとは、日本の産業広告を撮影する仕事です。これらがテレビ等マスメディアを通じて発信されていたものが、SNS(とスマートフォン)が出現したことで、個人が自由に発信できるようになったことは、大きな事件でした。個人的には、お世話になっていた制作会社が、YouTubeの台頭で倒産したのがきっかけで、クライアントワーク(ものを売るための写真)から、プロジェクト(課題解決の写真)をやってみたいと思うようになりました。
 
もう一つは社会的な転機です。2008年、増加を続けていた日本の総人口が
1億2808万人をピークに減少に転じ、成長社会から成熟社会へと移行を始めました。その後、2011年に東日本大震災が起こり、未曾有の大災害は人々の生き方や働き方を変えるターニングポイントとなりました。同時に、震災は地方の過疎や少子高齢化といった課題を顕在化させました。その後、政府は「まち・ひと・しごと創生(地方創生)」を施行し、国をあげての地域再生の取り組みが始まります(2014年)。このように地方創生以降、全国の自治体でまちづくりが盛んになり、わたしもいくつかの地域でプロジェクトが始まりました。
 
震災前後に、わたしは後の小豆島カメラメンバーとなる三村ひかりさんや、真鶴出版の川口さん夫妻、堀越一孝さんら、その後の人生を変える友人と出会っています。彼らはこれまで出会った人々とは全く違う価値観を持ち、自分たちで暮らしを作ろうと夢に溢れていました。都市のプロから地方移住者による新しい写真の時代が到来したのです。


写真家 スティーブン・ショア『STEEL TOWN』

話は変わりますが、みなさんはスティーブン・ショアというアメリカの写真家をご存じでしょうか?ウィリアム・エグルストンとならぶ、アメリカのニューカラーを代表する写真家です。現在75歳の彼は、昨年『STEEL TOWN』という写真集を出版しました。こちらは1977年、雑誌『Fortune』のためのコミッションワークで、舞台はのちのラストベルトとよばれる、ニューヨーク州、ペンシルバニア州、オハイオ州といったアメリカ中西部から北東部の地域。ウォーカー・エバンスによる大恐慌時代の写真をたどるように、4x5インチ大判カメラで撮影されました。

写真家 スティーブン・ショア
写真集『STEEL TOWN』

布張りの写真集のページをめくると、まちの風景、工業地帯、商店街や個人商店、労働者や労働組合、家族といった写真で構成されているのですが、まるで日本の地方を見ているような気持ちになりました。撮り方や目的は違ってもローカルフォトの大先輩だな、と。
もちろん 写真は言うまでもなくカッコいいですが、それだけではありません。『STEEL TOWN』はプロジェクトチームによる入念なリサーチと地域住民の対話から生まれた、貴重な社会批評なのです。
 
当時の歴史背景を説明すると、アメリカの重工業地域は70年代以降、オイルショックやグローバル化による国内製造の減少、そして日本車の進出によって急速に廃れていきました。悪循環に追い討ちをかけるように、この時期から人口減少も始まっています。 写真集に登場する労働者は、撮影の前年にジミー・カーターに投票をしたものの、新しい大統領にすっかり失望していました。 このように、現在日本が抱える大きな課題…グローバルサプライチェーンによる地域産業の空洞化は、40年前、既に海の向こうで起こっていたのです。

のちの「トランプ王国」となるラスト・ベルトのはじまりを写した写真群は、撮影当初より遙かに政治的重要性が高くなりました。歴史は繰り返します。 地域に入り、社会を見ることは決して容易ではありません。リサーチやフィールドワーク、住民とのコミュニケーション、試行錯誤の繰り返しです。しかしその積み重ねが文化をつくる。 国や文化の違いはあっても、アメリカも日本も変わらない。 現実を真っ直ぐに見つめ、アーカイブ化することが未来への一歩につながると、『STEEL TOWN』は教えてくれます。

ものを売る写真から、課題を解決する写真へ。

ショアさんの時代は雑誌(マスメディア)から発信をしましたが、ローカルフォトはSNS(ソーシャルメディア)から発信します。さらに、ローカルフォトは課題提起のみならず、課題解決にも挑戦します。ゆっくりとではありますが、小豆島や真鶴では、移住者が増えてまちが変わりつつあります。

ものを売る写真から、課題を解決する写真へ。クライアントワークとは違ってお金にはつながりませんが、地域の人々が写真を発信して観光や移住につなげることは、まちに活気をもたらし、誇りを取り戻します。スティーブン・ショアさんに見習って、過渡期の日本を見つめ、アーカイブ化に努めようと思います。

神奈川県真鶴町

文・写真:MOTOKO



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