はじめまして、真鶴カメラです。
はじめまして。真鶴カメラの仁志しおりです。フリーランスのフォトグラファーとして15年ほど活動しています。かつて私はニューヨークや東京に住んでいましたが、山と海がある暮らしに憧れて、3年前から真鶴で暮らし始めました。第一回目は、なぜ真鶴でローカルフォト活動を始めたのか、お話しようと思います。
真鶴カメラとは
私は昨年から、映像ディレクターの松平直之さんとともに写真活動「真鶴カメラ」を始めました。真鶴カメラは、神奈川県の西端にある小さな半島・真鶴町に暮らす10人によるローカルフォトグループです。
ローカルフォトとは 「写真でまちを元気に!」をモットーに、地域の人々が暮らしを発信して、観光や移住につなげる活動です。写真で暮らしの楽しさを伝えてファンを増やし、シビックプライド(住民の誇り)を取りもどすことを目指しています。カメラメーカー・OMデジタルソリューションズさん(以下OMDS)のサポートのもと、2021年の10月から始動しました。
活動内容は、月毎にテーマを決めて、ローカルヒーローに取材をしてSNS等で発信。これまで商店街の店主、石材業の職人、漁師、行事や祭りなどを精力的に撮影してきました。
初めて感じた「人口減少」
真鶴に移住した当初、息子と公園や海に行っても誰もおらず「この町の子供は一体どこで遊んでいるんだろう?」と思っていました。その後しばらくして、真鶴町が2017年に神奈川県で初めて過疎地域に認定されたことを知ります。このように、町では若者を見かけるのは稀で、ご近所はみんなおじちゃんとおばちゃん。商店街は立て続けに閉店し、散歩をすると空き家が目立ちます。小・中学校は全学年1クラスずつで、部活も年々減っているとのこと。それまで大阪、ニューヨーク、東京など、賑やかな都市に住んできた私は、この町に来て初めて過疎や少子高齢化の現状を目の当たりにしたのでした。
2008年を機に日本は人口減少が始まりました。地方ではそれに加えて、モータリゼーションとネットショッピングの充実によって、さらに町から人が消えていきます。真鶴でも外で遊ぶ子供はいないのに、図書館のロビーでゲームをしている小学生をよく見かけました。このように、人々の急激なライフスタイルの変化に「生活の余白」がなくなったと感じるのは私だけでしょうか? 近所の商店に歩いて出かけ、その日のおかずを買うようなことは、忙しい現代人には煩わしいことなのでしょうか?
私はようやく「人が少ないだけでなく、人々が町で出会わなくなっている」ことに気づきました。このままだと町はもっと寂しくなっていくだろう。息子が小学校に上がるまでになんとかならないだろうか? もう少し町中に子供の声が増えたらいいのに…。なによりもっと楽しい町にしたい。でも、どうすればいい?
この町を選んだ理由
ここで、私が真鶴に移住を決めた理由をお話しします。一つは、豊かな自然と暮らし。県立自然公園に指定されている真鶴半島の先には「お林」とよばれるこんもりとした人工の森があります。ここは聖なる森として、長年開発から守られてきました。またお林は「魚つき保安林」ともよばれ、多様な魚介類が生息する豊かな海を育んでいます。すり鉢状の地形に沿って小さな家が立ち並ぶこの町は、どこからでも海が見渡せて、高い建物がありません。地の石を使った石垣の町並みは懐かしさを感じます。ご近所付き合いや祭りも残っています。美しい自然と町並み、そしてコミュニティ。決して派手ではありませんが、しっかりと文化が根付いている。新興住宅地で育った私にとってこれらすべてが魅力的でした。
もう一つは「美の基準」というまちづくり条例の存在です。「美の基準」は80年代後半に押し寄せたリゾート開発の波から、景観を守ろうとする住民の運動から生まれました。『美の基準 デザインコードブック』は一般的な条例とは違って堅苦しい数値の制限はありません。69のデザインコード(基準)は、「小さな人だまり」「さわれる花」「実のなる木」など文学的なことばで真鶴らしさを表現しています。これらは人々の意識であり、生活風景を守るための規範です。この本を初めて手にしたとき「われわれが忘れている“なにか”だ」と感じました。なにより、土地と生きる人々のいとなみを「美」として、詩のように綴られていたことに感動したのです。
しかしその一方で、私が感動したこの町の “自然や暮らしおよびそれを守ってきた歴史” は、長年住んでいる人々にとっては当たり前とされ、忘れられていると感じたのも事実です。今こそ真の豊かさとはなにかを見つめ直す時期ではないか?そして「美の基準」が示したありのままの真鶴を再発見したい。私になにができるだろう?
そして真鶴カメラが始まった
そんな風に悶々としていたある日、同じ町内にお住まいの映像ディレクター・松平直之さんから連絡がありました。彼曰く、MOTOKOさんに「真鶴でローカルフォトをやってみない?」と誘われているとのこと。実はこの松平さんこそ、私に真鶴を紹介してくれた張本人。もっと言えば10年前、アメリカから帰国したばかりの私にMOTOKOさんを紹介してくれたのも彼でした。
ほどなく3人でミーティングを開始。彼女の「ローカルフォト」をやってみないかという提案に、私はイエスと即答しました。「写真でまちを再発見し、シビックプライドを取り戻す」という理念はまさに、私が望んでいたことだったからです。「今の自分がパッションを持って取り組めるライフワークになる」と思いました。
その後、「真鶴を発信したい!」と想いのありそうな10人のメンバーにお声がけをして、OMDSさんのサポートを受けて活動が始まりました。しかし、走り出した当初はとても大変でした。いわゆるクライアントワークが中心だった私や松平さんにとって、自ら主体となって企画立案から教材作成、果てはオペレーションに至るまで、全てが初めての経験だったからです。それでも毎回「楽しい!もっと続けたい!」と思えるのは、メンバーの生き生きとした表情や、「写真見たよ!」という地域の人々の反応が嬉しいからです。回を重ねるごとに、カメラで人を繋げ、町を元気にするローカルフォトの可能性を実感しています。
暮らす町全体を「家(home)」として見つめ直し、足元の小さな宝に光を当てる。「町がこんな風になればいいな」と未来を想像してシャッターを切る。ローカルフォトに出会って、改めて新しいことを学んでいます。
新たな発見
活動を始めてから、少しずつ暮らしが変わってきました。取材を継続するなかで、この町には魅力的な人や場所がまだまだたくさんある、と気づいたのです。
撮影を通じて知り合えたことで、すれ違っていた人々と友達になれました。発信をしたことで、見えなかった子供達の笑顔や、石材屋さんや漁師さんのいとなみ、さまざまな出来事がゆっくりと表出してきました。町の解像度が上がったことで、以前以上にこの町を愛おしく思えるようになりました。活動をしなかったら私自身、真鶴について何も知らないままだったと思います。
さらに、人々と会話をしたことで、遠かった課題が身近になりました。特に漁業を始めとする一次産業の担い手不足は深刻で、貴船まつりの継承問題については頻繁に話題に上ります。いずれにせよ、今この町で何が起きているのか? しっかり観察することが活動のビジョンや方向性を明確にします。
このように、リサーチして現場を知ることが町の愛着はもちろん、未来への道標になると実感できたのは大きな発見でした。カメラは最高のツールだと思っています。
真鶴カメラを始めてようやく一年。ひきつづき地域の取材と発信に勤しみ、この町の「好き」を増やしていきたいと思います。写真を見る人々にとってもそうでありますよう。
なにより活動を知ってもらうことで、少しでも真鶴に興味を持ってもらい、観光や移住につなげたいと思います。みなさんぜひ遊びにきてくださいね。
文・写真:仁志しおり
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