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私が山に目覚めた一枚 - 川野恭子


運命の瞬間

まったくと言っていいほど山に興味が無かった私が、ある時を堺に山に目覚めてしまった。一枚目の写真がまさしくその瞬間だった。

この日は、写真家のむらいさちさんと撮影ロケで初夏の北海道に訪れていた。富良野・美瑛エリアを撮影していたが、天気が良く時間もあったので、十勝岳方面に向かってみようか…という流れになり、十勝岳登山口まで車を走らせた。

それほど乗り気でなかった私は、なんとなく時間を潰す気分で登山口付近を散策することにした。期待薄な気分で歩いていたが、歩き進めるうちに新鮮な景色が広がり始めた。

森林限界を超えた先の景色…地を這うハイマツ、私の背丈ほどのダケカンバ、短い夏を謳歌する高山植物、雪解け水が作り出す小川…。

それはまるで、自然が作り出した庭園だった。夕暮れどきと重なり、神々しいほどの輝きを放っていた。間違いなくこの瞬間、山の女神が微笑んでいた。

仕事柄、国内外の美しい景色に出会うことは多々あるが、既視感を拭い切れず、感動もいまひとつだった。テレビやインターネットなどで流れてくる写真の影響は大きい。だが、山は違った。登山口から歩いて10分ほどの場所でこの絶景だ。山の中に分け入ったら、さらに美しい景色が広がっているに違いない。

こうして私は山にのめり込んでいった。

絶景に会いたくて

とはいえ、山登りなど無縁だった私。運動にも縁がなく、体力に自信などあるはずがない。どこから登り始めれば良いのか分からないまま、数ヶ月の時が過ぎていた。

しばらくして富山県立山での撮影ロケが決まった。立山といえば、立山黒部アルペンルートを使えば標高3,000m級の立山連峰眼前まで一気にワープできる人気の景勝地だ。山登りを始める最良のチャンスのはずなのに、このときはいまひとつピンとこなかったのを覚えている。

だが、またしても運命の瞬間が待っていた。立山黒部アルペンルートの経由地である黒部ダムを足早に移動しているとき、一枚の写真に目が止まった。断崖絶壁に吊るされた狭い足場の上を、自分よりも大きい工事資材を担いで歩く歩荷(ぼっか)の姿が写っていた。その写真を見た瞬間、一体この山域は何なんだ…と興奮を覚えた。

帰宅後、黒部について書かれた本を読み漁った。木本正次『黒部の太陽』、吉村昭『高熱隧道』、伊藤正一『黒部の山賊』、やまとけいこ『黒部源流山小屋暮らし』…などなど、読み進めるうちに黒部という山域の美しさと険しさと奥深さに魅了され、いつしか黒部源流域を歩いてみたい…と思うようになっていた。

なかでも、『黒部の山賊』をきっかけに知った雲ノ平(くものたいら)という場所が気になった。緩やかな起伏の上に続く草原と点在する池塘、咲き乱れる高山植物、その上にぽつんと建つ可愛らしい山小屋。写真にはこの世のものとは思えない楽園が写っている。しかも、どの登山口からも最低一泊は必要なほど遠いことから、「日本最後の秘境」と呼ばれているらしい。これはなんとしてもこの目で見て写真に残したい!

それから、この雲ノ平の地を踏むことが目標になった。丹沢、高尾山縦走、八ヶ岳縦走、北アルプスの玄関口である燕岳…と少しずつ山域のレベルをあげ、山登りの体力と経験値を上げていった。初めのうちは足取りも装備も覚束なかったが、経験が増えるにつれ、どのような足の運びをすると疲れにくいか?どのような装備だと便利なのか?が分かるようになっていった。

登山を初めてから1年が過ぎたころ、ついに雲ノ平に行く決心をした。経験を積み、ひとりで北アルプスを歩く自信がついたからだ。そうして挑んだ雲ノ平への山行は、二泊三日という自分にしては強行スケジュールだったが無事に達成出来た。写真で見た憧れの大地に立っていることが最高に嬉しくもあり、誇らしくもあった。

写真が好きではなかったら、怖がりな性格が邪魔をし、北アルプスの最奥にソロで向かうなど考えられなかっただろう。それ以前に、こんなに充実した日々を過ごしてはいなかっただろう。写真は見るのも撮るのもその人に多大な影響を与える。もしかしたら、「私が山に目覚めた一枚」をきっかけに、また別の誰かが山に興味を持つかもしれない。そう思うと、写真が好きであるということは、人生を変えるほどに可能性を秘めた行為なのかもしれない。

文・写真:川野恭子(写真家)

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写真集「山を探す」(リブロアルテ)


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