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偶然出会った風景を運ぶ。木村琢磨写真展「INside(me)」インタビュー

地元の岡山を拠点としながら、自然風景を撮影している木村琢磨さん。この1年間で撮影した作品を展示した写真展「INside(me)」を2月15日~26日まで開催しました。「写真を撮ることは絵を描くことと似ている」と語る木村さんが普段どのように風景と向き合っているのか、お話を伺いました。



語りかけてくれる自然風景

――展示している作品は、どんな場所で撮影したものですか?

地元岡山を中心に、隣接した鳥取や兵庫など、いつもよく行く行動範囲内で撮影したものです。1番身近なところだと隣の家の桜の写真もあります。満開の時よりも、花が落ちて葉桜になってきたちょうど5分5分くらいの、みんなが見向きもしなくなる頃に撮ってみようかなと思うことが多いですね。ピークを過ぎた葉は、次の循環がスタートする象徴。そう考えたらそのときがシャッターチャンスだと思うので。

近所の生垣の桜。いつもと違う雨の日の表情


――ピークを過ぎた時期にも、魅力があると。

同じ場所でも四季を通じて見ていくと、行くたびに違う表情見せてくれるんですよ。冬の枝葉の桜も好きだし、夏の葉桜も好きです。僕たちが知らないだけで、いろんな表情をしている。そういう姿にもスポットを当ててあげたいですね。ピークの季節にしか撮りに行かないというのは、僕の中ではちょっと矛盾しているんです。「きれいだね」って言うけど、それって一部分しか見てないのではないかと。

――自然の中でも、特にどんな被写体が好きですか?

自然の造形が好きなので、落ちている葉などをよく撮ります。この石の上にある葉っぱは半分川に浸かっていて、すぐに撮らないと流れてしまいそうでした。周りに黄色い葉っぱはなく、この1枚だけが真上を向いて落ちていたので、「撮ってよ」と言われている気がしましたね。

OM-1のハイレゾショットで画素数を上げ、葉脈まで鮮明に


――自然風景を撮影する楽しさはどのようなところにありますか?

なぜここにこんな木が生えたんだろう、そこに存在する意味は何だろうと、素直な視点で向き合いながら撮れるところです。でもいくら頑張ってもその答えはなかなか出ません。立派に育った木があっても、なぜそこにあるのかは何百年も前に遡らないとわかりませんから。でも100年、200年前にそこで芽吹いてくれたから今こうやって撮れていると思うと、すごく運命を感じますね。


自然の中と頭の中。2つのインサイド

――「INside(me)」という写真展のタイトルはどのようにして付けたのでしょうか。

自然の中に入るという意味と、自分の頭の中という意味の2つのインサイドの意味を込めて付けました。来てもらったら、自分がどういう写真が好きなのかわかってもらえるような写真展にしようと。タイトルを視覚化したイメージに一番近いと思ったのが、このDMの写真です。もう6、7年ずっと撮影に行っている場所ですが、行くたびに違う表情を見せてくれるんです。

目的地を決めていくけど寄り道しすぎてたどり着かなかったことはよくあり、この日はまさにそうでした。本当は別の場所へ撮りに行くはずでしたが、天気が悪いから、雨の日にあまり訪れたことがなかったここに行ってみようと。人が全くいなくて、靄が出て、初めて見る景色でした。また新しい気づきを得た瞬間でした。

DMで使用した写真


――大きなサイズの写真が多く、自然の中にいるような臨場感がありますね。

そうですね。撮影しているときは視界全部が自然なので、なるべく大きく見せたいという気持ちがありました。それにOM SYSTEMのカメラはセンサーサイズが小さいから大きく引き伸ばせないと思われる方もいますが、ここまで伸ばしてもきれいだというところを見せたかったんです。今回一番大きなプリントはB0サイズ。この大きさで写真を見ることによって自分自身のモチベーションが上がり、撮影がまた楽しくなりますね。

――展示構成はどのように考えましたか?

僕にとって理想の展覧会は、途中で止まらず、自然に流れるように観て、いつの間にか終わっていた、というものなんです。Aメロがあり、サビがあり…とリズムを作り、作品のサイズ感にこだわって、そのあと作品を当てはめていきました。曲が先か、歌詞が先か、みたいに音楽で例えると、僕の場合は最初に曲を決めて、その後に合う歌詞を当てたという感じですね(笑)


絵画を描くように写真を撮る

――もともと絵画が好きだったと伺いました。

絵を描くことや映画が好きでデザインの専門学校に行っていたのですが、そこで写真と出会い、卒業後にカメラマンになりました。印象派のモネの絵などが好きですね。絵の表現を写真でやったらどうなるだろうと試行錯誤して、近寄って見ると細かいディテールの集合体で、引いたらひとつの風景に見えるような、点描を意識した作品もあります。

僕にとって絵を描く行為と写真を撮る行為って、ベースは一緒。残したいとか伝えたいという思いがあり、描いているか撮っているかの違いだけなので。画家は絵筆で、僕はカメラで表現しているだけだと思うんです。

――この写真も細かな描写や色彩が絵画のようですね。

これは山の斜面に生えていた木です。スポットライトのような光が当たっているのを遠くから見つけて、「撮らなくては」と導かれるように撮影した1枚です。SFやファンタジーの世界で見るような形の木で、「すごいな」と思って。

全体に光が当たっていたら、たぶんこんなにはっきりとは見えてないんですよ。この木だけに光が当たって周りが暗くなっていたので、アウトラインがしっかり出ていました。

いつもは曇天の日に撮影にいくのですが、この日は快晴だったから撮れた写真です。たまたまこの日に行って、この木と出会って、光が差していたという、偶然の産物が写真にちゃんと残っている。そのタイミングに自分がそこにいたから撮れたというのが、自分にとってこの写真の価値というか。

絵画は想像したものを描こうと思えばいつでも描くことができますが、僕がやっている写真は現場に行かなければ撮れないし、残せない。自分が実際に行って、ちゃんと風景と向き合ったという結果が残ることが楽しくてやっています。

この写真も運転中、たまたま見つけた景色。観た瞬間惹かれて撮った1枚です。こちらは同じ絵画でも、日本画を意識して撮影しました。


いつかなくなってしまう風景を残していきたい

――改めて展示を見渡してみていかがですか。

あっという間の1年でした。カメラマンって被写体がいないと撮れないし、カメラがないと残せない。たまたまそこにあったから撮れた1枚だし、カメラがあったから撮れた1枚。自分はそれを運んでいるだけの、運び屋みたいなもの。「撮らせてもらえた」という感覚が大きいです。個展をすると、周りの環境にどれだけ支えられているか、よくわかりますね。

――今後目標としていることがあれば教えてください。

僕は地元岡山が好きですが、高齢化が進み、たとえば水田など自然風景がどんどんなくなってきているんですよ。自分より後の世代の人が、この景色を見られなくなるのはすごく残念なので、せめて写真でもいいから、昔こういう景色が広がっていたと伝えるお手伝いができたらいいなという気持ちがあります。

子どもの頃はなんとも思っていませんでしたが、カメラマンになって地元を歩いてみると、こんなにいい景色の中、通学していたのかと、全然違った目線で見られるときがあるんです。そういう環境で育ったからこそ、今のような写真が撮れているところもあります。自分が住んでいるところはこういう場所なんだと、伝えられるような作品をこれからも残していきたいですね。

写真展開催期間中に開催されたトークショー

文:安藤菜穂子
写真:竹中あゆみ


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