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タロイモの七転八起大陸自転車横断記#04 フランス編

スペインのイルンから川を渡りフランスへ。大西洋岸をボルドーまで北上し、サン・テミリオンではワインを徹底的に楽しみました。その後はロワール川沿いの古城群、そして華の都パリ。最後にミュンヘンへ向けてアルザス・ロレーヌ地方を走破するという、盛りだくさんのフランス旅でした。


アキテーヌを走る

スペイン側のイルンから、それほど大きくない橋を渡ってフランスへ。アキテーヌの南西の端、アンダイエの街に入りました。国境には二つの国の境目であることを意識させるようなものはほとんど何もなく、国ごとに違う制限速度を伝える看板に、小さくフランスと書いてあったことだけが国境をまたいだことを実感させました。

アキテーヌの南側、バイヨンヌあたりまでは実はバスクの領域のうちで、スペインでそうであったのと同様に地名には多くの場合バスク語名称が存在します。また、名産品や食事も共通しているので、なかなか国が変わったことを実感させるものがありません。バイヨンヌのあたりでやけに渋滞がひどかったのを覚えていますが、それを除けば順調に海岸沿いに北上し、カップブルトンという落ち着いた街のキャンプ場に宿泊しました。
翌日は起床してすぐに海岸へ向かい、この旅で初めて釣竿を伸ばしました。

スペインまでは海釣りにも遊漁券を購入する必要があったのですが、フランスではその必要がなくなったためようやく挑戦するに至ったわけです。実際フランスでは釣りがかなり一般的な趣味のようで、桟橋や突堤からたくさんの釣竿が伸びている様子は日本と同じです。しかし残念ながら釣果は無し。走らなければいけないためほどほどのところで切り上げて、さらにボルドーを目指します。

この日も似たようにひたすら海岸沿い(とはいえやや内陸を走っているため、海はほとんど見えません)を北上するだけの日でしたが、アルカションの街に代表されるように牡蠣が有名な地域でもあるので、昼食に鮮魚店で購入した牡蠣とそのほかの海産物を味わいました。ヨーロッパの牡蠣は日本のものに比べるとかなり小粒だと思いますが、今回もその例にもれません。とはいえ味はしっかりしており、フランスの海を感じることのできた良い道中であったかと思います。この日もキャンプ場に宿泊し、翌日はボルドーまで何事も無く走り切りました。


ボルドー、そしてサン・テミリオンでワインの世界にどっぷり浸かる

さてこうしてボルドーまでたどり着いたわけですが、実はボルドーとその周辺はこの旅の重要な経由地の一つでした。これは完全な私見なのですが、食という意味でもワインという意味でもボルドーがその中心であるような感覚があったのです。ですから、実際にそこを訪れて堪能することを心待ちにしながら、ポルトガルからずっとペダルを踏んできました。結局のところその期待は半分正しく、半分外れたというような感覚がありますが、まずは順を追ってお話ししようと思います。

ボルドーに到着した日は有名なブルス広場の水鏡で簡単に自転車の写真を撮りました。とはいえ逆光でとてもお見せできるような写真ではありません…。この日は疲れもありそのまま就寝。翌日に本格的に観光をしました。
さてボルドーの街では、大聖堂とシテ・デュ・ヴァン(ワイン博物館)を訪れつつ街歩きをしました。とはいえ、率直なところどちらもそれほど凄いものではなく、またよく保存されているということで有名な街並みも、建物それ自体はよくともテナントが雑多でさらに道端のゴミが多く目につくため、こちらもそれほど印象に残りませんでした。ボルドーという町に大きな期待を寄せてやって来ただけあって、期待外れであったことに大きく落胆したのですが、翌日のサン・テミリオン訪問に望みをつないでこの日も就寝しました。
さて、次の日は50kmほど先のサン・テミリオンへ移動です。ボルドーはワインで非常に有名ですが、もちろんワインを作っているのはボルドーの周辺の村々です。ですから、ワインの世界を期待してボルドー市街地を散策しても満たされないのは当然のことです。今日こそは、と考えながら自転車を漕いでいると、そんな自分の期待に応えるかのように景色が一面のブドウ畑とその中に点在するシャトーに移り変わっていきます。先ほどまでの落ち込んだ自分はどこへやら、期待と喜びが漲ってくるのが感じられました。
 そうしてサン・テミリオンに着くと、そこはまさに思い描いていた通りの世界。中世の面影を色濃く残した町は一面のブドウ畑に囲まれ、ボルドーとは打って変わってすべてが清潔です。感動を覚えながら宿にチェックインすると、宿を運営しているワイン屋の方がまずはぜひうちでテイスティングをしていけとのこと。宿泊者へのサービスの一環として行っているとのことでしたが、実に一時間にわたり10種類弱の銘柄を細かい説明と共に試飲させていただきました。特に重要であるのは、赤ワインが卓越しているボルドーにおいても、サン・テミリオンではメルロー種のブドウを用いたものが主流であり、その多くはブレンド無しのメルロー100%であるとのことでした。実際、メルローのみのワインはカヴェルネ・ソーヴィニヨンを多く使用したものよりもタンニンが弱く飲みやすいので、赤ワインが苦手という方でもとっつきやすいのではないかと思います。
 さて夕食は、この地域の名物である鴨のコンフィを食べに先ほどのワイン屋の方がおすすめするレストランへ。頂いた鴨のコンフィはまさに絶品。脂がたっぷりの皮と、脂肪の少ない筋肉がきれいに分離するのですが、味の濃い皮下脂肪がまるでソースのように振る舞います。鴨の筋肉はややパサつく感じがあるのが普通かと思いますが、それを全く感じさせない逸品でした。
 翌日も朝からサン・テミリオン観光へ。サン・テミリオンの町とその周辺は石灰岩の岩盤が広がっているのですが、町自体はその中でも特に丘のような場所に位置しています。その丘を、この町の住民は長い時間をかけてくり抜き、カタコンベと地下教会を築いてきたのです。朝からの強い雨でしたが、地下の観光だったため濡れることもなく歴史の一片に触れることができました。非常に興味深い場所でしたので、サン・テミリオンを訪問される方皆さんにお勧めです。その後は念願のシャトー訪問へ。
サン・テミリオンの観光協会では、周囲のシャトーと協力して輪番制で見学を受け入れてくれるシャトーを毎日用意していますので、特に難しいことは考えずに町へ向かって問題ありません。とはいえ、交通手段は自力で何とかする必要があるので、その点は念頭に置いておく必要があるかと思います。
 この日私を受け入れてくれたのは、サン・テミリオンの北、モンターニュに位置するシャトー・トゥール・カロンでした。この日そのタイミングで訪問したのが私一人だったこともあり、現在のオーナーの息子が一対一で案内してくれるというかなり豪華な体験になりました。このシャトーは、赤ワインが主なこの地域では珍しくスパークリングワインに力を入れており、非常に細かい部分まで興味深い話を聞かせてくれました。そして、この地域のシャトーでは石灰岩の岩盤を掘って地下に広大な洞窟、もとい貯蔵庫を作っています。彼が言うには、このシャトーだけでも5kmほどの長さがあり、そのうち現在使っているのは2km程度で、それ以外の場所がどうなっているのかはわからない、とのことです。シャトー・トゥール・カロンでは、醸造から貯蔵に至るまで古式にのっとることを大事にしているとのことでしたが、それは小規模なシャトーであるから可能であるのだと語っていたことが印象的でした。
 地下探検を終えた後は念願のテイスティングです。地下で何年か熟成されたスパークリングワインという珍しいものを試させていただきましたが、フレッシュさを失わないながらも角の取れた調和の取れた味が記憶に残っています。シャトー・トゥール・カロンのワインは日本にも輸入されていますので、興味を持たれた方は是非一度お試しください。

これが見たかった!シャトー・トゥール・カロンの貯蔵庫。
サン・テミリオンにて。
シャトー・トゥール・カロンの屋敷。
見てくれはいいが、中はは長年の放置で酷いことになっているとのこと。
ボルドー、ブルス広場の有名な水鏡。
水が張っている時間を外してしまい、上手く撮影できず残念。
ボルドーにて。
想像通りの、ブドウ畑の風景。
同じくボルドーのブルス広場。


フランスの一番フランスな地域、ロワール

 サン・テミリオンを発ったあとはひたすら北上してトゥールの街へ。そこからロワール川沿いに東進してポワティエまで向かいました。このロワール川沿いですが、歴代のフランス王朝と関わりが非常に深く、そのため数々の古城が残されています。これらの城に関しては、要塞というより宮殿としての性格がやや強いものが多いですが、まさにヨーロッパの古城の典型的なイメージそのままの世界です。城の数自体はかなり膨大なためすべてを回るというわけにはいかず、私が訪れたのは特に重要なアンボワーズ城とシャンボワール城の二つでした。どちらもフランス国王との結びつきが非常に強い城で、それこそフランソワ一世がレオナルド・ダヴィンチを招いて設計の一部をさせたのではないか、といったような濃密な歴史に触れられます。また、レオナルド・ダヴィンチの墓所があるのはアンボワーズ城の中の礼拝堂です。

アンボワーズ城。
こちらも手持ちハイレゾを使用。ボタン設定に割り振っているので、すぐに切り替えられる。
レンズは、M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO IIで撮影した。
ハイレゾの高解像度を引き出してくれた。
シャンボール城。フランス随一の城だが、残念ながら塔のうち一つが工事中。
シャンボール城のタペストリー。
最初立体的に編まれていると思ったのだが、そうではなかった。恐ろしいまでの技術。
トゥールから24時間耐久レースで有名なル・マンへ日帰り旅行。
ル・マンの旧市街。
ル・マン大聖堂。
こういった静物を撮るのに、手持ちハイレゾが本当に素晴らしい。
暗部持ち上げ効果もあるとのことで、単に高画素になる以上の効果がある。


華の都には棘がある

 ロワール川沿いをオルレアンまで東進した翌日は、一気にパリまで駆け上がりました。オルレアンといえば百年戦争のさなか英軍に包囲され、その包囲をジャンヌ・ダルクが解いたことで有名な場所ですが、パリまでの距離は僅か130km程度です。こんな場所にまで英軍に迫られていたわけですから、フランス王国が絶体絶命の窮地にあったというのもよく理解できます。この日は強烈な向かい風と劣悪な道路事情に大いに苦しめられましたが、なんとか日没後に凱旋門まで到着し記念撮影、パリの市域を丁度出たところにある友人の家にたどり着いたのは23時頃になってからでした。
 結局十日間程パリに滞在しましたが、そのおかげでじっくりと街を見て回ることができました。前半は休養を兼ねて特にあてもなくうろついてみたり、基本的には観光らしい観光をせず過ごしていたのですが、そのおかげかパリの普通の暮らしを垣間見ることができました。パリは勿論治安が良くはないのですが、日本で騒がれているほど危険を感じるような場所ではありません。とはいえ人々のモラルという点では疑問に思う点が多々あり、例えば改札のないバスなどではほとんどの人が無賃乗車をしているように見えましたし、改札がある地下鉄でも私の後ろに背後霊のようにくっついて無賃乗車をするマダムがいたりと、なかなかの混沌でした。改札の飛び越えや背後霊もどきは駅員の前でも堂々と行われ、それに対して駅員がなにもしないのを見るに、残念ながら当局もこの現状を前に諦めてしまっている印象を受けました。ほかにも、通販が届いていないのに届いたことになっているといったようなことが、私の場合ですが三回中二回起きました。また、パリといえば道路上のテラス席で優雅に食事やコーヒーを飲む情景が有名ですが(とはいえヨーロッパはどこもこうです)、少なくとも私にとって気分のいい道ではない場合が多かったので、基本的には室内席に座っていました。
 ここまでパリの悪口ばかりになってしまいましたが、それだけでは終わらないのがやはり華の都の凄いところです。ルーブル美術館は、展示内容はもちろん建物自体も宮殿であったため、あらゆる意味で壮大な場所ですし、19世紀のおそらく最もフランスが輝いていた時代に建てられたオペラ座(ガルニエ宮)の内装は圧巻というほかありません。豪華絢爛とはまさにこの場所の為にある言葉かと思うほどで、もちろん21世紀にあのようなものを建てたら過剰装飾の誹りは免れないと思うのですが、当時のフランスといわれると、「ああそうか」と感心してしまう場所でした。ヴェルサイユ宮殿は実際のところ、オペラ座の後に行くと内装にそこまで驚かなくなってしまう場所なのですが、それでもあの驚異的なスケールの庭園は一見の価値があります。庭園含め、日本の美的感覚とは真逆の場所で、それこそ年齢も性格も近い京都の二条城と比べてみるとなかなか興味深い場所です。
 このように休養と観光を十二分にとり、パリを発つ前の晩に、夜の凱旋門とエッフェル塔を撮影すべく最後に街へ繰り出しました。簡潔に書かせていただきますと、エッフェル塔は夜にシャイヨー宮のテラスから望むのが至上です。私は思わず、「これは卑怯だ」と呟いてしまいました。
 結局、パリというのは難しい場所です。治安や清潔さ云々というのは実際概ねその通りで、住むにはなかなかしんどいものがありそうです。しかし、そういった理由でパリ訪問をためらっている人がいるならば、それはあまりにも勿体ない。そんな街です。

ヴェルサイユ宮殿。
F2.8通しのレンズなので、しっかりボカせる。
ヴェルサイユ宮殿の庭園。
いったいどこまで続いているのだろう。
オペラ座にて。
オペラ座のあの階段。
オペラ座の最も豪華絢爛な部分。
オルレアンにて。
サモトラケのニケ。
シャイヨー宮から眺める、夜のエッフェル塔。
てっぺんから伸びる光線をびしっと写真に収めるべくISO12800まで上げて撮影しているが、OM WorkSpaceのAIノイズリダクション機能も含めて気にならない程度にノイズを収められている。
以前使っていたOM-D E-M5 Mark IIではこうはいかなかった。また、こういった夜景の撮影や暗い屋内での撮影では、OM-1の強力な手ぶれ補正と手ぶれ補正アシスト機能が大いに効いてくる。
ミロのヴィーナス。
ルーブル美術館。
ヴェルサイユ宮殿ができるまでは王の宮殿だった。
夜の凱旋門。
OM-1に搭載のライブND機能をめいっぱい使った。
PLフィルターは所持しているが、この機能のおかげで荷物が一つ減っている。


向かい風のアルザス・ロレーヌ

パリを発ったのは五月の終盤になってからですが、このころには自分の遅々とした進行に焦りを覚え始めていました。とにかくは最短経路でドイツのミュンヘンへ。そう考えて、アルザス・ロレーヌ地方へ向かいました。
 この地域で強く記憶に残っているのは、パリからドイツのバーデン・バーデンまで六日間にわたって続いた向かい風です。初日などは大いに悪態をつきながら走っていたのですが、三日もしてくるともう何も感じなくなり、ある時ほとんど無意識でひたすら自転車を漕いでいる自分に気が付いたときは戦慄を覚えました。端的にいえば季節風につかまっていたのだと思いますが、フランスは国土のほとんどが平原で、なおかつこの地方は一面小麦畑で風を遮るものが何もなかったこともあり、非常にタフな走行になりました。今思い出してもつらい日々です。
 さてパリを離れドイツ国境に近づくにつれ、メッスやヴェルダンといったどこかで聞いた地名が出てくるようになります。また、それにつれて戦争にまつわるモニュメントや集団墓地も増え、かつてこの地域が普仏戦争、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦でも戦場となったことを強く認識させます。そうして走っていると、地名や街並みまでもがドイツ的になり、そして最後にはライン川を渡ってドイツへ入ったのです。


走りづらい国、フランス

さて、日本の自転車乗りの多くは、ヨーロッパは自転車に優しい国ばかりだと思っている人が多いように思います。何を隠そう、私もそのイメージをもってヨーロッパへやってきたわけですが、残念ながらすべての国がそうとは限りません。日本を含めて私が今まで走ってきた中では、フランスは断トツで走りづらい国です。市街地においてはほとんどの場合自転車専用レーンがあるのですが(ただしそこが走りやすいかというとそういうわけでもないです)、都市間道路においてはおおよそ自転車や歩行者の存在が無視されています。高速道路ではない普通の国道が突然自動車専用道路になることはよくあるのですが、その場合ほかにまともな道がないということも多く、何度もあぜ道のような場所を先行きも読めぬまま走らされました。また、仮に自動車専用道路に指定されていなくとも、おおよそ路肩というものが存在しないため、走っているだけで非常に怖い思いをします。この場合もまた、ほかに選べる道が無いので耐えるしかありません。この記事を読んでいる方で、自転車でユーラシア横断やヨーロッパ横断に興味のある方がいらっしゃれば、私はフランスでの走行は可能な限り短くするようにおすすめさせていただきます。風の噂では、バルセロナからフランスに入り、コート・ダジュールをイタリアまで最短経路で抜ける分にはそこまで酷くはないそうです。


森本 太郎 Taro Morimoto
1999年生まれ。現在は大学院を休学中。
中学生時代に自転車に目覚め、気が付けばユーラシア横断が始まっていた。
現在はバルカン半島の山がちな地形に大苦戦中。
とはいえイスタンブールはもう遠くない。
Twitter:@taroimo_on_bike
Instagram:@tokyo__express
Youtube:@tokyo__express

文・写真 森本 太郎

撮影機材
Camera:
OM SYSTEM OM-1
Lens:
M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO Ⅱ

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