秦 達夫写真展「風光の峰 雲上の渓 黒部源流の山々」インタビュー
故郷・長野県飯田市の湯立神楽「霜月祭」や屋久島の作品などを発表している秦達夫さん。今回は2019年にオリンパスギャラリー(現OM SYSTEM GALLERY)で発表した『日だまりの黒部』の続編となる新作を発表。2015年から通い続けているという黒部川源流域の魅力や、作品について伺いました。
行くのに2日かかる、長い道程と厳しい環境。
――今回の作品の舞台、黒部川の源流域に通い始めたきっかけを教えてください。
フライフィッシングをやっている知り合いから、「いい場所があるから行こうよ」と誘われたのがきっかけです。黒部川の源流域はイワナ釣りのメッカで、フライフィッシングをする人たちの憧れの場所。沢登りする人たちもたくさん集まってきます。実際に行ってみて素晴らしいところだったので、テーマを立てて撮っていこうと思いました。
――どのようなルートで行くのでしょうか。
富山県側からは折立から登り、太郎平小屋を経由して、薬師沢、雲ノ平、鷲岳、水晶岳、黒部五郎岳など。長野県側からは、新穂高ロープウェイで鏡平まで登り、双六岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳など。このあたりが黒部川の源流域です。どちらのルートも経験のある人なら1日で行けますが、普通は2日かかります。とくに道中、写真を撮りながらだとそれくらいはかかりますね。それだけ奥深いところなんです。
――そんなに時間がかかる場所なんですね。
本当に大変です。私は屋久島や八甲田山などにも行きますが、だいたい2000m級の山なんですよ。それなら日帰りでも行けるし、環境も厳しくない。でもアルプスの山々は3000m級。撮影場所に辿りつくまでが大変なんですよね。「なんで俺、こんなところに来ちゃったんだろう」って愚痴と嘆きで、本当に途中で帰ってしまおうと思うのですが、プライドがあるので、帰れなくて(笑)。
山岳写真家と言われることもありますが、めっそうもないです。山岳写真家の方たちは本当に山登りが大好きで、その結果写真を撮ると思うんですが、僕はヘリコプターが飛んで来たら「乗っけてくれないかな」って思います。山が好きな人は、あそこまで行くんだって、意気込むと思うんですけど、もう、それとは精神状態が全然違うんですよね。
なぜこの場所にたくさんの人が惹きつけられるのか。
――そんなにつらい思いをしても通おうと思ったのはなぜですか。
行くのが大変なのに、人がいっぱいいるんですよ。なぜみんなわざわざ行くんだろうと。私は長野県飯田市生まれですが、小さい頃、夕方になると遭難のニュースが流れて来て、「山って危険なところだな」なんて思いながら育ったんです。だからなぜこんなに大変な思いをしながらも人が集まるのか不思議で。自分なりに解釈して表現したいと思いました。
――どのくらいの頻度で通われていたんでしょうか。
はっきり覚えていませんが、去年、一昨年は毎月3週に1回くらいは登っていたと思います。小説家や絵描きの方は、一度見てイマジネーションを膨らませて創作する方もいると思うのですが、写真の場合、季節や時間、その時の自分の気持ちで風景の見え方は変わってきます。自分の気持ちの変化も確かめたいし、撮りたいというのが一番ですね。だからもしカメラがなければ、登りません。
――荷物も重そうですね。
持っていくのはボディ2台と、レンズが5本。水中を潜るときは、ハウジングとドライスーツ。OM SYSTEMの機材は、レンズ5本と言ってもコンパクトなのでそれほどでもありません。ドライスーツが大きいんですよね。食料は少なくて、テント泊の時のご飯は、インスタントラーメンとアルファ米ぐらいですね。
――作品について教えてください。この星の軌跡、凄いですね。
鏡平池です。尖った山は槍ヶ岳。1時間ぐらい露光するのですが、あと数分でこのカットが撮れるな…と思っていたら、人がやって来て懐中電灯で照らされてしまって。「ああ俺の1時間が…」と悔しい思いをしながら、3回ほどやり直して撮りました(笑)
――羽の写真も印象に残りました。
3日も4日も歩いて何にも撮れずに帰ってくるということもあるんです。この時はずっと雨で、何も撮れずにとぼとぼ下を向いて歩いていたら、夏毛から冬毛に変わる雷鳥の羽が落ちているのを見つけました。「あ、このために来たんだな」と思えた1枚です。
なぜいいと思ったかを確認する作業に時間をかける。
――8年通っても、知らない風景に出会えるものですか。
だから飽きないですね。同じところへ行っても、全然違うように見えます。季節はどんどん変わっていくし、新しい表情を見せてくれる。僕はあまり器用な写真家じゃないから、足しげく通って、見せてくれる表情を捉えるしかできない。もう通うしかないですよね。通うことによって、何か見せてくれるというか、認めてくれる感じがするんです。
――風景と対峙したとき、何を考えて撮っていますか。
この魅力はどうすれば伝わるかということをよく考えます。あまり難しい技術は使いません。ただ三脚を立ててシャッターを押すだけなんです。構図が云々とか、写真を撮るときの作法はいろいろありますが、それよりも「なぜこの風景をいいと思ったんだろう」「それが写るにはどうしたらいいんだろう」ということをよく考えるんです。
もしかしたら今ここで撮るのが正解じゃないかもしれない。もうちょっと高いところへ行って撮った方が意図に合うんじゃないか。季節を変えて撮った方が、自分が伝えたいものになるかもしれない、という風に。
考え始めると、ずっとそこにいるんですよ。半日ぐらいいることもあって。登山者の人が登って帰ってくるときに、「さっきもいましたよね、珍しい動物でもいるんですか?」なんて尋ねられることも。
タイミングを待つためにいるんじゃなくて、なぜいいと思ったかを確認する作業には時間をかけます。結局わからなくて時間を無駄にすることもあるんですけど、でもその無駄な時間が、次の機会を生んでくれるのかなと思っているんです。
好奇心の赴くままに、撮っていきたい。
――今回の展示レイアウトはどのように考えられましたか。
山のシーズンは4月の終わりから、10月の終わりまで。春から夏、秋と、撮影年は違いますが季節ごとに時系列に並べました。尾根を合わせてレイアウトすることで、ずっと山が繋がっていくイメージを作っています。展示間隔を狭くしてたくさん展示し、密にすることで臨場感を出しています。
――「風光の峰 雲上の渓 黒部源流の山々」というタイトルはどのように決められましたか?
高いところにある沢を表現したいと考え、「雲上の渓」という言葉が出てきました。そして山の上を想像させる「風光の峰」。スケールの大きさが伝わり、世界観が広がるタイトルにしたかったんです。たくさん書き出してデザイナーと相談しながら考えました。
――ありがとうございます。では最後に、今後、やりたいことについて教えてください。
来年、白神山地の写真集を作りたいと思っていて、力を入れてやりたいことのひとつですね。他にもいくつかテーマを並行して撮影しているので、故郷の山域やお祭りの撮影等も続けてやっていきたいです。見てみたい、経験してみたいって思ったものを、もう片っ端から撮っていきたい。本当に好奇心だけなんです。気持ちの赴くまま、撮影していきたいですね。
写真展開催期間中に開催されたトークショー
文・安藤菜穂子
写真・竹中あゆみ