見出し画像

フォトグラファーがコーヒーバイヤーになる話。#04 コスタリカ「世界で最も幸せな国」のコーヒー生産者

「フォトグラファーがコーヒーバイヤーになる話。」として、私がグアテマラ旅行をきっかけに、日本のコーヒー屋の向こうにある「コーヒーを作っている人たち」に出会い、いつしかコーヒーを買い付けるコーヒーバイヤーとなっていくお話です。
主にコーヒー生産国で撮った写真とそれにまつわるお話を綴ります。
今回VOL.5ではコスタリカの訪問記です。



1:コスタリカへ陸路で移動

Hola!(オラ!)
ご覧いただきありがとうございます。中島です。
今回お届けするのはコスタリカのタラスという場所の訪問記です。
グアテマラでホームステイを経験したことで、スペイン語は旅行会話程度まで可能になっています。
グアテマラからコスタリカへは、飛行機を使わずに陸路でホンジュラス、ニカラグアを割とローカルなバスを使って移動しました。
せっかく習った語学力を試したる!みたいな気分だったという感じもありましたが、ホンジュラスに入ってすぐにある天文学で有名なマヤ文明の遺跡(コパン遺跡)も見たかったので、陸路で移動しています。
*コーヒー業者になって知ったのですが、このコパン地域もコーヒー生産地です。後日コーヒーのイベントでコパンから来たという女性とお話して知りました。

このマヤ文明のコパン遺跡(西暦435年から822年頃)は天文学が発展し、望遠鏡もない目視だけの観測で、一年の暦を現代とほぼ一緒の精度まで観測した観測所があり、球技場にコンゴウインコが飾られているので、シンボルとして遺跡の入口で飼われています。石柱(ステラ)も綺麗なので、マヤ文明ファンの方はぜひ。
この遺跡は米国の大学の他、日本の中村誠一金沢大学教授(現在は公立小松大学教授)及びそのチームが長年発掘調査研究を行い、遺跡の整備を行ったと知られています。日本人の考古学者はエジプト以外にも、長年マヤ文明の発掘に尽力していて、コパン遺跡以外も近年メキシコで大きな発見をされています。

参考 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/11/400-11.php


コパン遺跡にあるステラという石柱の一つ。
当時の王が高浮彫という技法で掘られ、マヤ文字も一緒に刻まれている。
当時塗られていた赤い色がまだ少し残っている。

2:余談 ホンジュラスとニカラグア

『ホンジュラス』
ホンジュラスは、スペイン語で話しかけると結構喜んでくれて、接する人々が温かい。
習いたての下手なスペイン語でもちゃんと聞き取って貰って、相手も一ヶ月の勉強でそんなに話せるの!と言ってくれたりして、スペイン語を習って良かったと嬉しくなりました。ちょっと浮かれていた感じもあったのですが、ホンジュラスの国境の町コパンから大都市サン・ペドロ・スーラに着くと、そんな気持ちが一変します。
 
バスの到着が遅れ夜に到着したので、バスをすぐに乗り継いでテグシガルパにいく予定が崩れたので、その日のホテルを探しにバスターミナルから出て薄暗い街なかを歩いていきました。スーツケースを引っ張って車輪がガラガラと音をたてていると、辺りが他に音もなく妙に静かだと気づきました。次第に誰もいないのに、「誰かに見られている気がする」、「ここに居てはいけない気がする」と鳥肌が立ちゾクゾクする感覚がはっきりしてきました。
あと数分でもそのまま歩いていたらきっと強盗にやられていたのでは、と思っていた位の危機感を感じながら、目に入ったホテルに駆け込んだ強い記憶が残っています。日本では一切感じたことのない感覚でした。
 
追記:ラテンアメリカの治安を特に警戒すべき場所
・大都会のバスターミナル付近(全ての荷物を持って、土地勘のない場所に降りる危険性)
・いきなり出てくるスラム街(今どきはメキシコのテピートの様に情報が多い。事前の情報収集大事)
・旧市街(風情は良いけど、夜はなるべく出ない)
・国境付近(荷物注意)
・海岸(麻薬を船で運ぶ中継地点の可能性)
 
 
『ニカラグア』
ホンジュラス、ニカラグアを陸路で国境を渡って向かいましたが、ニカラグアは中米の最貧国だと言われています。
ローカルのバスに乗った時、シートに普通はクッションが貼ってあると思いますが、錆びた鉄のフレームが剥き出しだったのと、ボブ・マーリーと思われる曲が流れた時に乗っていたニカラグア人がみんなで熱唱していた事が印象的でした。ニカラグアは先住民がスペイン占領時に伝染病や過酷な労働で大幅に亡くなってしまい、労働力を補うためアフリカから沢山の人を連れてきたという歴史もあり、中米それぞれに固有の歴史があって済んでいる人の顔立ちも違います。
その後はニカラグアのレオンという町で、一日遅れでコーヒー業者のヨシと合流し、コスタリカへ向かいました。
 
この時、グアテマラからホンジュラスとニカラグアを経由しながらバスでコスタリカに入りましたが、もし飛行機で一気に移動していれば、中米でこれほど住んでいる人々に違いがあるとは全く理解出来なかったと思います。

国境の様子、奥に簡単なゲートが見える。陸路で国境を超える時は、スーツケースやカメラバッグを開けて調べられたり、謎に待たされる。わざわざ看板に「全て手続きは無料です」と下線を引いて記載がされているのですが、やっぱり係員からの要求があるからだと思われる。
私は手続き窓口で何だか欲しそうな様子の係員に出くわしたものの、払ったことはありません


3:コスタリカという国、キーワードはPURA VIDA

コスタリカは上記のホンジュラス、ニカラグアの南にあり、九州と四国を合わせた位の国土面積があります。人口は515万人。
約95%がスペインなどヨーロッパ系白人か先住民との混血です。
(上記でも書きましたが、陸路でコスタリカに来たのでニカラグアとの違いで再び驚きました)
 
主要産業はコーヒー以外に観光もあり、国の約1/4が国立公園に指定され自然が保護されています。コスタリカには全世界の4%の生物種が生息し、1平方キロあたりの生物種が世界一多い国と言われています。
首都をちょっと離れるだけで、噴火している火山あり、雨が多くて霧の立ち込める熱帯雲霧林、きれいなビーチや青くひらひらと舞う蝶、サルが吠えナマケモノがじっとしているジャングル等など狭い国なのに、非常に変化が激しい。火の鳥の元になった事で有名なケツァールという鳥は、日が当たればエメラルドグリーンに羽がキラキラと光る鳥ですが、コスタリカで確実に見ることが出来る場所があります。(コスタリカ以外は、グアテマラの保護区でなら見れるようだ)
 
コスタリカの首都はサンホセという街で、中米の首都の中で最も治安が良いと思います。夜に一人でピアノコンサートを見て歩いて帰れると言えば、上記のホンジュラスと大きな違いだとお分かりかと思います。(ただし深夜のバスターミナル付近は少し注意!)
この国では、日常会話の中でもプラビダ(PURA VIDA)という言葉を何度も聞きました。英語では「PureLife」という直訳ですが、プラビダは「挨拶の時」「いいね」「ありがとう」の感じで使われていて、ホテルで貰った石鹸にすらPURAVIDAと書いてあったり、農園主がPURAVIDAと書いてある帽子を被っているのを見たこともある位には頻出のキーワード。
 
この言葉は調べると「良い生活」「人生を楽しみ、平和、幸福を大切にする」という意味合いがあって、コスタリカ人(彼らは自分たちをticosと呼んでいる)が大切にしているキーワードのようです。
イギリスのシンクタンク「ニュー・エコノミクス財団」が3、4年ごとに調査・発表している「地球幸福度指数」において、コスタリカは2009、2012、2016年と3回連続の1位になった事は、このPURA VIDAと無関係ではないと思います。
 
軍隊も無くして教育に費用を充てているので英語を話せる人も中米で最も高く、経済も治安も良いので、無理のない仕事と趣味のバランスを取って、彼らは人生をとても楽しんでいると思います。
首都を離れれば大きい建物が無いので、朝日や夕日もきれいで虹も訪問中に良く見かけました。自分の主観では、グアテマラの先住民文化やマヤ文明の遺跡は、知的好奇心を刺激される感じで、コスタリカは自然との距離が近くて何だか落ち着くという印象を感じています。

首都のホテルはメインストリートに近い場所に泊まりましたが、シャワーが殆ど出ない。
よく見ると日本の公園で水を飲む時のアレが下向きに付いていた。
このホテル意外に高かったのに、部屋もシャワーもだめ。一泊で別のホテルに移った

首都やプンタレナスという太平洋側の海を散策しましたが、その後コスタリカのコーヒーの一大産地であるタラスへバスで向かいました。プンタレナスは首都からも近いので、まるで江の島のような雰囲気の場所です。

プンタレナスの海の桟橋で


4:タラス(Tarrazú)

コスタリカの生産地では、一番と言っていい位の有名な場所です。Tarrazúと書いて、タラスと読みます。生豆業者が表記ブレしているのが原因ですが、たまにコーヒー屋さんのページに“タラズ”と書いてある時は間違えています。アクセントは後ろになってラの部分は少し巻き舌で言うイメージで発音してみて下さい。
*最近ロスサントス(Los Santos)という表記もされる事がありますが、同じ産地です。
 
首都からタラスへは、バスで数時間だったと思います。この地域の拠点になるサンマルコス デ タラスという町で降りてホテルを取ったのですが、新しいホテルなのにお湯を出そうとすると何やら茶色くてちょっとくさい水が出てきます。
新築っぽいホテルなので、配管に土でも詰まっているのかと思いつつ、しばらく待っていても臭い。これはアカンやつかも。我慢してちょっと浴びちゃったのを後悔しつつ、水シャワーで洗い直しましたがしばらく臭かった。
コスタリカのホテルは、結構日本のビジネスホテル並の価格なのに水回りは悪い。でもこういう事も含めてラテンアメリカの旅です。

コーヒー農園の方から見たサンマルコス デ タラスの町。
中央右寄りの青い屋根は教会。右の赤い木はエリスリナ(Erythrina)またはコーラルツリー。
日本では奄美や沖縄で見られるデイゴの木の一種


5.コーヒー流通、コスタリカのマイクロミルとは

コーヒーの一般的な流通を説明すると、生産者は摘み取られたコーヒーの実(コーヒーチェリー)を、農協、買い取り業者、輸出商社に売りにいきます。その後、買い取った業者は、コーヒーチェリーは大規模な精製所へ持ち込こみ、果皮を剥いて果肉を除去し乾燥させます。(コーヒーの生豆は要するに残った種子を脱穀した部分)
*国により流通の仕組みに違いがあります。
 
コーヒーの生産者としては、コーヒーチェリーを買い取られた時点でお金になりますが、大きいロットにするのに混ぜられてしまうので、
自分の手塩にかけて育てたコーヒーが単体では美味しくても「質」は評価されず、「量」で判断されてしまう状態です。
買い取りは量で判断されるので、農園の場所が標高の高い場所にあると育つのが遅くなり収穫量が下がります。代わりに品質が上がるのも、美味しいけど収穫量が少ない古い品種(ティピカやブルボン)も不利になります。
コーヒーの木は、苗から育てて収穫できるまで大体3年かかるので、その場所からはその間お金も入りませんし、収穫期も数ヶ月だけなので、一年中ずっと収穫出来るわけでも有りません。
摘み取りには、ニカラグアの人やパナマの先住民の期間労働者を雇って人件費もかかっているので、取引価格が下がって買取価格も下がった年は「コーヒー危機」という状況も生んでいます。
*世界一の生産国ブラジルが国際コーヒー価格に大きい影響があり、例えば霜害でブラジルの生産量が下がれば価格は上がったりします。
 
コスタリカでは、そういった背景から生産者が精製所を自分たち家族(親戚、生産者の集まり)で小規模な精製所(マイクロミル)を作って、農園で栽培され摘み取られたコーヒーチェリーを自分たちで精製と乾燥させ、品質を上げて国際的な市場価格とは別に高品質なコーヒー生豆を高値で販売しようとします。マイクロミルを持つ生産者の考え方が「沢山コーヒーを育てて売る=量」から「美味しいコーヒーを育てて高値で売る=質」になったこの事は「マイクロミル革命」と言われています。
最初にコスタリカのマイクロミルが誕生したのは2000年、今ではこういったマイクロミルが150以上はあると思われます。
(コスタリカのコーヒー全てがマイクロミルで精製されている訳ではなく、従来の精製所もあります)
スペシャルティコーヒー(*)という言葉が今どきのコーヒー屋さんで良く聞かれますが、コスタリカのマイクロミルで精製されたコーヒーは、品質面やトレーサビリティの意味で、正にぴったり合っていると思います。
 
*コーヒーの味が一定以上の評価がされ、栽培から精製や生産者がはっきりして、流通や保管に至るまできちんと品質管理されたコーヒーです。細かい定義を確認するひとは、SCAJリンク先へ。
https://scaj.org/about/specialty-coffee
 
そして、これから紹介するタラスのラ・カンデリージャマイクロミルは、コスタリカに初めて出来たマイクロミルです。

6:コスタリカのパイオニア、ラ・カンデリージャ マイクロミル

上記でもご紹介しましたが、ラ・カンデリージャはコスタリカで最初のマイクロミル(micromill、スペイン語ではミクロベネフィシオ)として知られています。
7家族の親戚が2000年に共同で設立した精製所で、それぞれの家族が所有する農園が収穫するコーヒーチェリーを精製・乾燥させています。
*https://www.facebook.com/share/p/Nk8tV19BTB2M4fUz/
 
今回の訪問は2008年1月、収穫のピークと言っていい時期の訪問ながら、訪問した農園と精製所の責任者のリカルド・エルナンデスさんは、日本から来た私達を快く受け入れてくれました。(観光農園ではないので、事前にコーヒー業者のヨシがリカルドさんに連絡をしてくれていました)
この時まだ私はコーヒーについてはグアテマラで農園を見た事はあったものの、まだまだ詳しくはありません。まだ自分が後々にコーヒー業者になるとは全く考えておらず、カメラマンとして自己紹介しています。
 
今でこそコーヒー屋の店主が農園を訪問することは増えましたが、この頃ではまだ日本からの訪問者も少なかったと思います。
リカルドさんは自宅に食事を招待してくれたり、ホテルに送迎してくれたりと本当に日本人もびっくりのおもてなしの心で、今でも感謝しきれません。この時撮った写真は後に、日本のコーヒーイベントでお渡ししてお礼を伝えました。
あと、2004年にパナマをきっかけに注目されるようになったゲイシャ種というコーヒーは、リカルドがホテルで淹れてくれて初めて飲んで衝撃を受けました。コーヒーで強い記憶に残る一杯の一つです。

リカルドさんにマイクロミルを取り仕切るエステバンさんを紹介してもらっているヨシ

ラ・カンデリージャという名前は、ホタルというスペイン語の意味ですが、近くを通るピリス川にホタルがいる事が由来になっています。実際に昼に見に行った時はホタルがいるのは分からなかったですが、川の水はとてもきれいでした。
 
ラ・カンデリージャという精製所の名前がブランド化していて、日本ではラ・カンデリージャでコーヒー屋の店主には結構通じるくらい有名です。マイクロミルに隣接した同名のラ・カンデリージャ農園(ここだけ複数の家族の共同所有)もありますが、それぞれの家族が農園を所有していて別の名前がついているので、ラカンデリージャマイクロミル=ラカンデリージャ農園ではありません。
コスタリカのコーヒーがちょっとややこしい点です。
ラカンデリージャでは、同名の農園の他に、モンテカネ、カシーケ、パルミレラ、ラスコリナスなどの農園があり、農園と品種のリストを見せてもらうと7家族で合計27農園位あって驚きます。
 
コスタリカのコーヒーが日本で売られているとき、マイクロミル(ここであればラ・カンデリージャ)と農園の名前がごっちゃごちゃになって、コーヒー屋さんで紹介されている事が多いです。
コーヒー屋さんで、コスタリカのコーヒーが農園名とマイクロミルの両方を表記しているなら、この仕組みをご理解されていると思います。(ラ・カンデリージャ マイクロミル、ラス・コリナス農園というふうに2つ記載があれば一番良い記載かと)
 
 
ラ・カンデリージャマイクロミルとそこの家族の収穫風景を見させてもらい、写真にも収めていましたが、私が特にここで驚いた事はこの場所の雰囲気です。これまで見たコーヒー農園で摘み取りをしている人たちより、何だか皆が楽しそうと言うか、アットホームな雰囲気だけどそれでいて真剣で、いきいきとした人たちが働いていました。

ラ・カンデリージャに着いた初日に収穫をされていたのを見学した。こちらはアナさん
こちらのマルシアさんは、アナさんの姪だそうだ。帽子が気になります
摘み取りの終わった車に積んで、コーヒーチェリーを計量する場所にバックしながら入ってくる様子。グスタボ(男の子)は、まだ小さいので摘み取りはしていないがお手伝いはしているのでは。摘み取りをしていたら手が土で汚れるので、二人の手を拡大してみれば、摘み取りをしていたか分かる。アナとグスタボ、二人の名前はこの記事を書くにあたり、リカルドさんの息子に確認しています。自分はこの写真が特に気に入っていて、この写真がきっかけでコーヒー生産者をテーマに写真を撮っていくという事を決めた。何度も現像や印刷をして個展にも飾った思い入れのある一枚
コスタリカでは、摘み取られたコーヒーチェリーは、この箱に入れ取手を閉めて何杯分収穫したかを計測します。この箱はICAFE(コスタリカコーヒー協会)によりきちんとサイズが決められていて、名前はアンガリージャ(Angarilla)と言います。アンガリージャは設置型なので、コンパクトで持ち歩きの出来るカフエラという箱もあります。国と違って重量を測定して受け取っていないのが面白い。次回はもう少し詳しくこのコーヒーチェリーが精製と乾燥後に生豆何キロに変化するか書きたいと思います。
アンガリージャ何杯分を精製所に納品したか、これでカウントしている。写真は6杯目。最後アンガリージャの途中で終わっても、鉄の定規のような棒をカフエラに入れしっかりカウントされ、その場で何杯分を納品したのかを手書きした領収書のような紙が渡されていた。親戚同士でも結構しっかりしている
アンガリージャで1杯をすりきりで測った後は、レバーで下部の蓋が開いて下に落ちる。この部分はシフォンという。この後は、シフォンに水を掛けながら水路を通って果皮を取り除く機械に向かっていく

ラ・カンデリージャは、最初に見てみた時にも思っていたのですが、精製所の掃除がしっかりと行き届いて毎日掃除をしていると思います。(大きい声では言えないが、いつ掃除したのかよく分からないくらい結構器具の汚い精製所もありました。)
清潔な環境で精製処理されたほうが、雑菌も付きにくく、味わいにも影響があります。
摘み取ったコーヒーチェリーはその辺に置いておけば発酵が始まってしまうので、その日に果皮や果肉を取り除いたりする作業は終わらせたほうがいいので、日が暮れても作業がされていました。
正直ラテンアメリカの人って、もっと適当だったり、さっさと仕事終わらせて帰っちゃう先入観があったので、わたしは「まだ働くのか!」という気持ちで見ていました。
 (補足*最近は発酵の味わいを好む人のために、わざと摘み取ったコーヒーチェリーを袋やかごに入れて置いて、一日から数日発酵させるパターンも存在しますが、この初訪問の2008年にはなかった話です)
 

7:コーヒー生産国と生産者を写真のテーマとする

2006年のグアテマラ訪問をきっかけに写真作品のテーマとしてラテンアメリカを撮ってきたのですが、当初はラテンアメリカの遺跡への興味が強くて、マヤ文明などの遺跡と現在の町並み、住んでいる人たちを色々撮って比較するような作品のテーマとしようと考えていました。
 
自分の勝手な先入観の話ですが、ラテンアメリカに訪問する前はコーヒーやバナナといった作物を作っている人たちは安い賃金で無理やり働かされているかわいそうな人たちなんだろうな、と思っていました。
コーヒーをどれだけ作っても殆ど採算に合わなくて、その日暮らしのような生産者も確かに存在します。
 
でも、コスタリカに来て、ラ・カンデリージャで働いている人たち見て、自分のコーヒーの生産者に対するイメージはすぐに変わりました。
良いコーヒーを作れば、その分だけ自分たちが豊かになれる、という希望が顔に現れているのかもしれません。
仕事を楽しんでいるけど真剣ですし、彼らに自信やプライドのようなものを感じました。
自分がコーヒー農園や生産者をテーマに作品発表をしようと思ったきっかけは、ラ・カンデリージャの皆さんが与えてくれました。

働いているみんなの真似をしています。
別でかっこいいポーズも取ってもらったのですが、こちらを紹介します
こういった親子のふれあいで、次世代にコーヒー生産が引き継がれていくのだなと思います。
この後、この子はお父さんと手を繋いで、満足気に帰っていきました。
ラ・カンデリージャマイクロミルの責任者、リカルドさん。
彼は他の国(中米やタンザニア)でも生産指導経験があるコスタリカ生産者の重鎮。
彼の案内で、タラスの他の農園や輸出商社も見せてくれた
リカルドさん親子。息子も名前がリカルドなのでリカルドJrと呼ばれている。
後ろ姿だけど、こちらの親子写真はリカルドさんも気に入ってくれたようだ

次回予告、コスタリカ「世界で最も幸せな国」のコーヒー生産者編 Vol.2

今回のラ・カンデリージャの他の写真や、他の生産者や農園の写真をご覧ください。(まだまだあるので)
コスタリカ編は、まだ写真が多くて更にこの後は輸出商社編を予定しています。
引き続きよろしくお願いします。

※コスタリカからもう間もなく入荷するコーヒー生豆(今回の記事の場所)La Candelilla micromill(23-24crop)は予約で殆ど埋まっていますが、11月上旬に出荷開始となります。
どんなコーヒーを注文したのか、今の在庫は?などのお問い合わせは下記メールにお願いします。
 PURAVIDA!
 お問い合わせ先 cafedearabica1974@gmail.com

今回の取材で使ったカメラ・レンズ
Camera:E-SYSTEM E-510
Lens:
ZUIKO DIGITAL 14-54mm F2.8-3.5 ,
ZUIKO DIGITAL 11-22mm F2.8-3.5 ,
ZUIKO DIGITAL ED 70-300mm F4.0-5.6
写真の無断転載は本当に固くお断り致します。

#omsystem #zuiko #旅するomsystem #中島慶太

最後まで読んでいただき、ありがとうございます! 「OM SYSTEM note」では、「人生を彩る最高の映像体験ストーリー」綴っていきます。 「OM SYSTEM note」のフォローをお願いします。