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フォトグラファーがコーヒーバイヤーになる話。#03 ~半年間のラテンアメリカ取材へ 再訪グアテマラ編~

「フォトグラファーがコーヒーバイヤーになる話。」と題して、私がグアテマラ旅行をきっかけに、日本のコーヒー屋の向こうにある「コーヒーを作っている人たち」に出会い、いつしかコーヒーを買い付けるコーヒーバイヤーとなっていくお話です。
主にコーヒー生産国で撮った写真とそれにまつわるお話を綴ります。
今回は、グアテマラのマイナーな生産地(コバン、ニューオリエンテ)の取材記です。(撮影2007~2008年)



スペイン語の学校へ行きつつホームステイ

Hola!(オラ!)
ご覧いただきありがとうございます。中島慶太です。
 
南米を旅している間、スペイン語が出来る親友のヨシがいたものの、当時思っていたのはやっぱり自分でもスペイン語を理解して、ひとりでも旅が出来るようにしたいという気持ちでした。英語が通じる人もいますが、やはり現地の言葉で話したい。(日本でも外国人旅行客から日本語で挨拶されるだけでも嬉しいものです)
グアテマラではマヤ文明の末裔の人たちがまだ半分はいて、自分のローカルな言語に加えてスペイン語を公用語として習う人たちもいます。グアテマラの先住民の言葉は22もあって、隣の村で言葉が違う事もあります。
 
特に不便を感じるのは食事です。日本のように、レストランや食堂で食品サンプルが店頭に飾ってある事はなく、メニューも写真などは付いていないので、電子辞書や本で調べて注文する必要があります。現地の郷土料理や食材は調べても辞書になかったりしますが、そこは店員さんに尋ねれば教えてくれます。また、メニューに英語も書いてあれば親切ですが、観光都市以外はほとんど英語表記が無かったりします。今はスマホの翻訳アプリでかなり楽になりました。
 
自分ひとりで動く撮影メインの日程のために、最低限旅行出来る程度の語学は必須でした。最初にラテンアメリカを旅したグアテマラのアンティグアという町は、語学学校が沢山あってそこでスペイン語を習っている日本人も多くいます。
 
わたしは、片桐はいりさんの弟(片桐真さん)さんが経営する「アタバル」という語学学校へ入学。一ヶ月間の短い期間でしたが、学校最終日、先生には「あなたはマソメノス(まぁまぁ)だったわ。」だと言われた程度ですが、今でもスペイン語の基礎を習った事は役に立っています。グアテマラを出て向かったホンジュラスでは、早速宿の人にスペイン語を話す事を褒めてもらい、語学学校に行って良かった!と感じました。
 
「アタバル」は、日本語で手続きの出来る安心感と、当時日曜定食という日曜に食べられるご飯もありました。

スペイン語学校アタバルHP:https://atabalspanishschool.com/jp/


当時のネット環境

当時のネット環境といえば、町にあるインターネットカフェを使っていました。日本みたいな漫画もあるネットカフェじゃなくて、本当にただパソコンが並んでいるだけで一冊の漫画もありません。
スペイン語のパソコンではそのままでは日本語入力が出来ませんが、苦労して「まだ無事です。生きています。」みたいな連絡をメールか当時流行ったSNSでやっていました。
*日本語入力が無いスペイン語のパソコンでも、特殊な方法で日本語入力出来るHPがあって、それは旅の途中で日本人に教えてもらいました。それまでは、「ima guatemala ni imasu」って感じです。むかし親友から「yarareta!!」って強盗にあった連絡が来たことがありました。今ならスマホを持って行って、現地のプリペイドのsimを購入して使い捨てです。
WiFiは安全性に不安があるため使わないようにしています。

グアテマラのコバン、右の車が止まっているところがネットカフェ
上記と同じグアテマラの田舎のコバン。カラスに似た鳥を時々見かけます


ホームステイ、出会いとお別れ

語学学校に通う間、宿と外食では高すぎるので、人生初のホームステイをしました。ステイ先はオスカルとアナご夫婦のお家です。ここにした理由、それはアナの作るご飯。アナはご飯が出来ると「コメ!コメ!」(食べて食べて!って感じの意味)と明るく言って、量が多めの食事を出してくれました。ステイ先によってはご飯が少ない所も結構あるそうです。
これからホームステイする人は、語学学校で片桐さんにお勧めを教えてもらうといいと思います。ホームステイ中に知り合った世界一周中のナイスなご夫婦や、その後グアテマラに移住した女性とは、いまでも交流が続いています。大人になってから、仕事以外でお友達が出来る事ってほとんど無かったので、本当に旅の写真と同じ位の宝になりました。
 
お世話になったホームステイ先のご夫婦、オスカルとアナは、いまは他界し、お二人には会えなくなってしまいました…
 今回、note記事を書くにあたり、たくさんの写真を見返しましたが、オスカルとアナの写真が無く、なんで撮っていなかったのかと、とても後悔しています。
写真については、私は失敗した!とその時思った写真でも、基本的には全部残しておきます。どんな写真でも撮り直しは出来ないし、後で見返して「やっぱり良いな」って思うことも結構あります。RAWデータで撮っておけば「後で救える」写真も増えますし、何よりその写真を見ている時間が(現像するのにじっくり見るから)長くなって、撮影した時の事をより思い出します。

ホームステイをしていたアンティグアの教会の写真


ホームステイ先のグアテマラのクリスマスや年越し

グアテマラアンティグアのステイ先で過ごしたクリスマスや年越し。
伝統的な行事もあれば、今っぽいアレンジの行事もあって両方を体験出来ました。
 

爆音、爆竹が好きなグアテマラの人たち
*国民性なのか爆音、爆竹好きのグアテマラの人たちはとても多いと思います。メキシコであれば生演奏を耳にする事が多いのですが、グアテマラは重低音の効いたノリの良い音楽がお好きなようです。
クリスマスの日付が変わった瞬間、近所で大量に爆竹が鳴り響きました。部屋の窓ガラスが震える程です。あとは、友達の誕生日の日付が変わった頃に、その家に行って爆竹を鳴らすそうで、よく分からない日の夜中でもわりと爆竹が鳴っています。

ホームステイ先の自宅では、ポサダというキリスト教の伝統的な行事が行われました。ホテルに泊まっていたら見ることが出来なかったと思います。

ポサダの解説
(ポサダの期間はキリスト誕生の前の9日間、キリストを身ごもった聖母マリアと父ヨセフが、ナザレからベツレヘム(今のパレスチナ)に向かう途中、宿泊場所を探す旅になぞらえている行事です)
場所によって、多少違いがあるかもしれませんが私の見たポサダは、2グループに分かれて、家の前の人は宿泊を頼む歌、家の中から返事になる歌を歌い、その後二人の飾り付けをその家に運び入れ、家の人はポンチェというフルーツと砂糖を煮た甘くて温かい飲み物を皆に振る舞っていました。ポサダを行うお家はどの家でも良いという事ではないようで、選ばれる事は名誉だと聞きました。


ポサダの解説
(ポサダの期間はキリスト誕生の前の9日間、キリストを身ごもった聖母マリアと父ヨセフが、ナザレからベツレヘム(今のパレスチナ)に向かう途中、宿泊場所を探す旅になぞらえている行事です)
場所によって、多少違いがあるかもしれませんが私の見たポサダは、2グループに分かれて、家の前の人は宿泊を頼む歌、家の中から返事になる歌を歌い、その後二人の飾り付けをその家に運び入れ、家の人はポンチェというフルーツと砂糖を煮た甘くて温かい飲み物を皆に振る舞っていました。ポサダを行うお家はどの家でも良いという事ではないようで、選ばれる事は名誉だと聞きました。

アンティグアのホームステイ先で見たキリスト教の伝統的なポサダの光景。
歌を歌ったあと、ヨセフとマリア様の像は家の中に運び込まれた
伝統的なポサダが行われる一方で、アンティグアの町中では
ノリの良いテンポの音楽が重低音で流れている
着ぐるみのパレードのあと、休憩している少年たち。彼はタバコじゃなくて飴を舐めています
右の中年くらいの男性は写真を撮るよと言ったら、照れながら仮面を装着
ホームステイ先の町で年越しを迎えた。
シンボルの修道院跡の時計台の前で、居合わせた皆でカウントダウン。
日付が変わった瞬間に年の明かりが切り替わって花火も上がった


感染症にかかる

ホームステイ中の週末は、食事は出ないので基本外食です。日曜日は学校で、日曜定食という片桐さんたちが作ってくれるご飯がありましたが、ほとんど出かけて近くの町に写真を撮りに行っていました。
湖畔に植えてあったコーヒーの木から、コーヒーチェリーをかじって食べていたのが原因か?クリスマス・イブの夜に感染症にかかってしまいました。嘔吐も下痢もあって、クリスマスの花火が上がる音を聞きながら、ひどい目に会いました。自然治癒する気配もなく、湖畔の町からホームステイ先に戻って病院へ向かいました、衰弱した状態の中で、検査してもらった人が使っていた顕微鏡がオリンパス製だったのと、病院の人の言った「アメーバ…」という単語だけはよく覚えています。薬を飲んでも下痢は治るまでかなり時間がかかり、その間ほぼ食事が取れず、ガリガリに痩せました。この時、今より20キロ近く痩せていたと思います。年明けには、ホームステイ先で一緒のご夫婦と書初めをして「黴菌退治」と書きました。体調が戻った後、外食で1ポンドのステーキを奮発して食べた時、身体にエネルギーがグイグイ入ってくる!って感覚が、忘れられません。


グアテマラの少しマイナーなコーヒー生産地へ

アティトラン湖、湖畔の町から見る朝。
対岸まで、高速ボートでも1時間くらいかかるので、結構大きい湖です。
湖畔に沿って村が点在し、陸路でもピックアップトラックがバス代わりに走っている。
現地の人達とぎゅうぎゅうになり移動できます

取材期間中は、グアテマラの有名生産地以外のコーヒー農園にも訪れました。日本にはアンティグア産、ウエウエテナンゴ産が多く輸入されていますが、実際は合計8つの産地があります。上記の写真、アティトラン湖も生産地ですが、湖近くの斜面にもコーヒーの木が植えられています。(アティトラン湖を眺めつつ飲むコーヒーは最高です)

GUATEMALAN COFFESより引用

グアテマラのコーヒー産地の地図。HuehueはHを発音せず、ウエウエテナンゴという地名で、ウエウエテナンゴの向こうはメキシコです。サンマルコスからフライハーネスまで並んでいるのは、コーヒー栽培に適した高地が山脈に沿っているため。日本では、アンティグア産、ウエウエテナンゴ産を見かける事がとても多いのですが、今回紹介するのは、山脈沿いではない少し遠い生産地コバンと、新しい生産地ニューオリエンテです。


コバン(Cobán)

グアテマラのアルタ・ベラパス県にあるコバンというコーヒー生産地は、他のグアテマラの生産地と離れた場所にあって他と特徴が異なります。コバンはカリブ海からの湿った空気で雨や霧が多く、乾季にも関わらず晴れの少ない場所。初めて訪れたときはちょうど晴れていましたが、その後何度か訪れていますが、乾季でも雨天ばかりでした。
コーヒーへの影響で言えば、コーヒーの実を摘んで乾燥させている途中に雨が降ると雑菌が付くので、焙煎前の生豆としての品質が落ちると思われます。摘んだコーヒーを乾燥させるのに、天日以外には乾燥機を使う方法がありますが、ここは乾燥機の使用も多いようです。
 
アンティグアでスペイン語の基礎を習った甲斐もあり、この頃には、市場でグアテマラの人と雑談が出来るくらいには、旅が出来るようになっていました。ただ、一人で農園に行って、ガイドから培などの専門用語を理解するにはまだまだ難しかったです。コバンを訪れた日は収穫期も終わりの頃だったこともあり、他に見学者もいなかったため、何度もガイドの方に聞き直しが出来ました。当時の農園ガイドの方には、大変お世話になりました。

農園の入り口、ここはドイツ人が19世紀末に移り住んでスタートした歴史のある農園

コーヒーの実は赤が基本ですが、黄色い実を付ける木もあります。果皮を剥けば同じ色なので、赤と黄色の実を混ぜて処理される事もあれば、黄色い実だけを集めたロットが作られる事があります。
以前、グアテマラの農園主から赤と黄色で味そのものは変わらないと以前は聞いた事がありましたが、黄色い実だけを集めて丁寧に処理された生豆のほうが、欠点豆という味に悪影響のある豆(かびたり、虫に食われたもの)が減って味が良くなると思っています。生産者にとっても高く生豆が売れて嬉しいという話もあります。
コーヒーに限りませんが、ごちゃごちゃに混ざったMIX品種のロットより、特定の品種や特定の区画管理された場所、みたいに細分化されるほどやはり高価格です。
それに、丁寧に選別や精製の処理を行うための人件費がかかることは、現地の雇用に繋がる側面もあって悪いことばかりではないかと思います。
 

例外的にピンクブルボンという品種で言えば、普通のブルボン種と味の違いがあります。品種については、突然変異で変化するというケースもあります。訪問時の2008年より今の方が色々な品種栽培を農園が試験していて、聞いたことない品種が毎年出てきます。


農園内で働いている“ケチク”という先住民の方たち

グアテマラは公用語のスペイン語の他、22のマヤ系言語がある多民族国家。スペイン語で話しかけて撮影していますが、コバンの人たちは旅行者に優しくて、みんな私の拙いスペイン語に変な反応もなく、和やかに対応してくれました。

農園の見学の後に飲ませてもらえるコーヒーは格別です


ニューオリエンテ(またはヌエボ オリエンテ)

親友のヨシも再び合流し、グアテマラ東部で隣国ホンジュラスに面した場所、ニューオリエンテという生産地にも訪れました。(ORIENTEは東という意味のスペイン語)
ニューオリエンテの農園は、グアテマラ東部のホンジュラスに近いチキムラという大きい町から向かいました。ニューオリエンテは、NEWという名前が付くだけあって、歴史を見るとグアテマラのコーヒー生産地としては後発で、1960年代になってコーヒーが栽培されるようになりました。コバン同様、日本に入ってくる量は少なくグアテマラのなかでもマイナー生産地です。
 
訪問したのは、2007年~2008年の乾季が終わる頃で、コーヒーの花のつぼみも膨らみ、咲く直前でした。ニューオリエンテの農園と併せて、近くにあるキリスト教の聖地エスキプラスにも訪問しました。コーヒーを買い付ける人には会社勤め、または店を営業をしながら生産地訪問をする人もいらっしゃいますが、コーヒー農園と現地の商社しか足を運ばない人も多く、私はコーヒー以外のその国の歴史や文化にも興味があり、可能な限りはその地域を見て回ります。

夕方に農園の中を開花寸前のコーヒーの木を眺めつつ歩いた
案内してくださった農園主
コーヒーの木の花の蕾、もう少しで花が咲く状態。
一つだけ、既に花が咲き枯れたのを見つけた。
この花が枯れた部分に緑の実が付き、8ヶ月後位に赤く熟していきます。
生産者としては、収穫のタイミングがずれないように、一斉に花が咲いてほしいそうです
収穫期にはピッカーという期間労働者が沢山いますが、
収穫期を過ぎても住み込みで働いている人々もいます

グアテマラにコーヒー栽培が広まる以前、グアテマラの主要な輸出産業は天然染料だった。サボテンに付く虫から取る赤い染料コチニールやインディゴが産業だったが、イギリスで19世紀半ばに人工染料が発明されると天然染料からコーヒー栽培に切り替えたようです。
グアテマラにコーヒーを持ち込んだのは、1750年代にイエズス会の修道士が持ち込んだ説があるが、当初はガーデニングの木として教会の庭に植えられたようです。

コーヒーの実の果皮を剥いだり、果肉を除去する場所(ウェットミルとか、ベネフィシオ ウメド)。
精製の仕方は生産者によって異なりますが、ここでは摘んできたコーヒーの実(コーヒーチェリー)を水路で上から下に水で流していく構造になっています。写真の左上から右下に精製処理が進みます。

次回予告、コスタリカ「世界で最も幸せな国」のコーヒー生産者編

コスタリカ編では、現在買付をしているコーヒー農園も出てきますので、是非次回も御覧ください。

※※現在扱っている生豆(23年10月入荷した22-23crop)は完売しております。コスタリカから今年の秋に入荷するコーヒー生豆(23-24crop)は予約受付中です。現在予約で5割程度埋まっております。9月から10月に日本到着予定です。
お問い合わせ先 cafedearabica1974@gmail.com

今回の取材で使ったカメラ・レンズ
Camera:OLYMPUS E-510
Lens: ZUIKO DIGITAL 14-54mm F2.8-3.5,
    ZUIKO DIGITAL 11-22mm F2.8-3.5

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